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2003.4.4 |
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USA MAKIDAI ATSUSHI SHUN EXILE |
――高校卒業したら、みんなでライブハウス回って、プロになろうと話したり? 話してましたね。でも、「篤志は練習しない」って言われちゃって。そのころ、僕の中での練習ってカラオケだったから、「カラオケ行った」って言うと、遊びに行ってるって思われたり。高校生だったし、どうやって歌を練習したらいいかわかんなかったんですよね。で、バンドは結局解散して、僕は音楽の専門学校へ行くことにしたんですよね。急に解散が決まったときに、まず自分は何をすればいいのかって考えたんですよ。そこで、まず歌がうまくなることだと思ったんです。それから、バンドのメンバーを探すことだと。そのときはまだ、バンドでデビューしたいと思ってたから。そのためにいちばんいいのは、専門学校に行くことだなと思って。そうやってひとつひとつクリアしていったんですよ。最近、「こうなりたいっていう目標と自分の足下の両方が見えてないと先には進めない」って思うんですよ。そのころはそこまで考えてなかったけど、そういうふうにしてたかなって、今になって自分で思いますね。 ――その堅実さが、ATSUSHIさんらしい気もしますね。 感性に身を委ねて生きるってことは、できない人かもしれないですね。自分で道筋を立ててしまうというか。だけど、そのなかで失敗したことも勉強になるから、同じ失敗は絶対にしない……。僕は、専門学校の就職活動は事務所を決めることだと思ってたから、1年生の間にとにかく歌をうまくなろう、2年になったらオーディションを受けようっていうふうに、確実に先に進める方法を自分で考えて選んでたなって思います。ちゃんと夢に近づくための努力はしてきたと思うんですよね。 (略) ――『ASAYAN』を受けるときは、自信ありました? 最初がいちばん自信なかったです。じゅうぶんに聴いてもらえないから、自分がわかってもらえないかもしれないっていう……。でも、一次に受かってからは、たぶん、他の人よりちょっとは自信あったかもしれないですね。全部聴いてもらえるんだったらって。でも、まぁそれは、自分は歌を勉強したんだっていう自信でしょうね。今となっては、ヘタくそすぎて、恥ずかしくて聴けないですけどね(笑)。ボイトレってたぶん、精神的なものがあると思うんですよ。自分はボイトレしたから声が出る、みたいな。なかにはうまい人もいたんで、自信は正直、半々くらいでしたね。 ――最後の5人にまで残ったわけじゃないですか。あのときに自信はありました? 最後の5人で大阪でライブをやったあとに、東京で次の発表があるということになったんです。で、東京でその発表直前に「ひとりだけ落ちます」って言われたんですよ。そのときは「絶対に俺じゃない」って思ってました、正直。今考えると、相当過信してたかもしれないですね。もう「行ける」って感じだったし、まさか落とされるとは思わなかったんです。今考えると、甘かったですけどね。 ――ところが、落とされてしまった……。 ですね……。そのあとでまた、僕の人生の中ですごいデカいことがあったんですよ。年に一度の学校の大きなイベントにトリで出たのに、そこで何も賞がもらえなかったんです。周りも、『ASAYAN』の佐藤篤志は賞を獲るのが当たり前だろうっていう雰囲気で僕を見てたのに、1年生に賞を総なめされて……、その受賞式の間、ステージに佇んでいたという……。 ――うまく歌えた自信があったんですね。 そのときのビデオ、今ではとても見れたもんじゃないんですけど、そのときは「イケたかも!」ってカンジでしたね。だから、なぜ自分が賞を獲れなかったのかぜんぜんわからなかったし、本当に悔しかった。過去、あのとき以上にステージに立っていたくない瞬間はなかったですね。でも、デビューしてすぐくらいに、SHUNちゃんに教えられましたね、そのときの僕の歌には気持ちがなかったんだって。歌がうまくなって、人に認めてもらって、デビューしてって思ってたけど、「なんのためにやるの?」って話になったときに、やっぱりそこに気持ちがないと、伝わるものも伝わらないっていう……。そのことに気付かされる大元になったのは、あそこで落とされたことだと思いますね。 |
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――お母さんにまつわる印象的な思い出は? 常に働いてたっていうイメージがありますね。あまり裕福じゃなかったんで、俺らが小学生くらいのときからずっと、自転車で20〜30分かかる所にパートに行ってるんですよ。当時はそれが普通だったけど、今考えたら、よくやってたな〜っていうのはありますよね。嫌な顔とか疲れた顔も絶対見せなかったし……。あと、俺は友達の親によく「清木場くんとは付き合うな」って言われてたんですよ。今考えれば、親が悪い子と付き合うなって言うのは、普通のことだと思うんですけど、うちの母ちゃんは絶対に言わなかったんですよ。「どんな悪い子でも、お前が友達になったなら大事にしろ、裏切るな」って。だから友達を家に呼んでも嫌な顔ひとつしなかったし、逆にご飯を食べさせたり……。友達がよく、「お前の親はいいな」って言ってたんですよ。当時は母ちゃんとはほとんど話もしなかったし、俺は何がいいのかわからなかったけど、理想的な母親だったなって、今は思いますね。自分が作る友達を本当に理解してくれたというか。まぁ、言いたいことをおさえてたところもあると思うんですけどね、俺のことなんで(苦笑)。 ――お母さんに対する見方が変わったのは、いつごろですか? 「悪いな」とはずっと思ってたんですけど、「ごめんね」とか「ありがとう」って言うことは、俺の性格からして、まず言えないと思ってたんですよ。だけど、俺のことを全部知ってくれてるHIROさんが、ライブで山口に行ったときに「これだけ言わしてくれ。一回でいいから親に“ありがとう”って言ってくれ」って。で、俺が言ったら、母ちゃんが泣いてて……。それから、ですかね。親父は親父で大事なんだけど、母ちゃんのことがすごい気になるというか、すごい大事にしたい、というのがありますね、今は。 ――ありがたい存在ですよね。 どれだけひどいことしても裏切らないのって、たぶん、親だけだと思うんですよ。だから親は、当たり前なんだけど、大事にしないとヤバいですよね。 (略) ――こうやってSHUNさんと話してると、いろんな葛藤がありそうだなって感じます。 葛藤、ありますね。説明するの、難しいんですけど、“EXILEのSHUN”と“清木場俊介”は違うんですよ。どちらも自分なんですね。だけど、プライベートで街を歩いてるときに、「あ、EXILEだ!」って言われても、「いや、俺はEXILEじゃないんだよ、俺は清木場俊介なんだよ」って思うんですよね。そこがうまく切り替えられるほど器用じゃないんだけど、切り替えなきゃいけない……。ずっとEXILEのSHUNじゃ無理だし、EXILEで清木場俊介としてずっと歌ってくのも無理だし……。すごい葛藤はありますよね。最近、そのふたりがすごく戦ってますね。だから、ファンに手紙とか書くときには絶対、“EXILE・SHUN→清木場俊介”って書くんですよ。「ふたりの意味があるよ、だから勘違いしないでくれよ」っていうことなんですけど……。歌詞も、清木場俊介の書く歌詞と、EXILEのSHUNが書く歌詞は違う。それは振り分けて書いてるんですよね。EXILEのSHUNの歌詞は、曲が上がったときにしか書けない、つまり曲から思い浮かぶ詞なんですよ。だけど、清木場俊介の詞は常に書ける。その詞はEXILEでは絶対に出せないんですよ、すごく濃いんで。 ――自己表現しているようなしてないような、してないけれどしてるような……、というカンジなんですね。 自分の中でもグルグル回ってる。ずっと繰り返しなんですよね。人生ってすごい難しいなって思いますね。 ――想いとテクニックの間での葛藤もありそうですよね。 それはすごくありますね、今。俺が伝えられる範囲ってすごく狭くて。俺がいちばん歌で出せるのは、人間が泣くときの感情なんですね。だから、俺にとっては、リズム感とかそういうテクニックはまったくもって必要ないというか。でも、今やってることは、第一にそれが必要なんですよ。だから、プロになって初めの半年は辛かったですね。歌には自信があったのに、歌ってこんなに難しかったっけって、すごく悩んで……。自分の想いに技術がついていかないまま時間だけは早く過ぎて、そういう気持ちのままレコーディングしなくちゃいけなかったりもしたし……。本当に根性がなかったら、あのときに帰ってただろうなって思う。でも、メンバーがいてくれてすぐに相談に乗ってくれて……。ひとりじゃ絶対無理だったなって思います。 EXILE ――デビューしてからを振り返ってみて、どうですか? 一同 いろんなこと、ありましたね〜。 SHUN あんまり悪いことはなかった気がする。悪いことも、「まぁいいか」みたいなカンジで。 ATSUSHI 今、結果がいいからそう思えるのかもね、そのときは嫌だったかもしれないけど。 HIRO うん、嫌なことっていっても愚痴レベルじゃん、全部いいことだったな。 MATSU 前にウッさんが「この歳で仲間で出来るっていうのが素晴らしい」って言ってたんだけど、本当にそうだなって思いますね。そのなかで1個1個勉強できてるし。 SHUN 俺も、このグループに入って、当たり前のことを覚えられた。だから、より自分も固まったというか。昔の自分もいかしつつ、新しい自分も出来たというか。ほんとにね、こんないい人たちが世の中にいるんだなって、俺は思いましたもん。「なんでこういうところで怒んないの?」ってこともあって、その心のデカさがすごいなって思って。俺もほんとにそういうふうにならなきゃなとは常に思ってますよね。 ――前からのメンバーの中には、やってたことが世間に認められた、というような感覚もありました? HIRO ですね。でも、べつに苦労して、とかっていうわけでもないんですよね。 MATSU 流れですよね、自然な。本当に。 HIRO まぁ、真面目に正直に生きてると、いいことが起こるんだなとは思いますね。昔は「がんばるなんて、ダッセーや」っていうカッコつけがあって、今考えると自分勝手にやりすぎてたところもあると思うけど……。がんばるってことは人間にいちばん必要なことだっていうのを、言葉じゃなくて身体で感じたし、自分を信じてたから、そういういい状況になったのかなって。 (略) ――このメンバーだからこそ、今まで誰も行けなかったところに行ける、という確信もあるんじゃないですか? SHUN 行けなくても、このメンバーでいればいいっていうのが、俺は強いな。このメンバーでちゃっとやっていれば、べつに気にしなくても、気付いたらそこに行ってるんだと思うんですけどね。2ndアルバム『Styles Of Beyond』が1位になったけど、俺はただこうやって歌って、パフォーマンスできて、それをできるだけたくさんの人に聴いてもらえるというだけでいいなって思っていて……。それを積み重ねていくことによって、そこにたどり着けるわけだから。絶対にそこに行くために……っていうよりは、楽しくやってて、気付いたらそこに行けてたっていうのがいいですよね。 ATSUSHI しかも、目指してるモノが明確じゃないですよね。6人いるから無限であるし、手探りではるけど、できるまでやっていくと思うし……。目標とか到達点ってあんまりわからないんですよね、がんばればできちゃうような気もするから。 HIRO 俺は、メンバーとは、個人としていい付き合いを続けていたいっていうのが、いちばん強いですね。せっかく知り合えて、これだけ信頼し合えてるわけだから。1位になりたいとか、あれをやりたいとか、そういう具体的なことも出てくるわけですけどね。そこでちゃんとつながって、好きな仕事ができてるっていう自分が、充実してるんだと思いますね。 MATSU ずっとこのグループを大事にやっていきたいなというのがあるんですけど、それは当たり前で……。いずれひとりひとり別々になっちゃったとしても、さっきHIROくんが言ったみたいに、人として付き合っていきたいな、と。例えば、前のダンス仲間も違うジャンルでがんばってて、僕らのCDジャケットの洋服をスタイリングしてもらったりしてたんですよ。そういうふうに、ず〜っとどっかで絶対つながっていたいですよね。 USA この先どうなるかっていうのはわかんないですけど、歌をやってるとか踊りをやってるとか、そういうの抜きにしても付き合ってたいし……。ほんと、これから自分が何になるかもわからないし、みんなそれぞれ違うことをやるかもしれないし、それでもどっかでつながってるといいなっていうのは、ありますね。 |
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