佐伯 明(さえきあきら)
1960年11月10日・東京都国立市生まれ。さそり座B型。中央大学文学部フランス文学科卒。
17歳のときに音楽雑誌「rockin’ on」に投稿したものが記事となり、音楽文の執筆をスタートさせる(ちなみに最初に記事になったときの題材はジェフ・ベック。最初にインタビューをしたミュージシャンは忌野清志郎&仲井戸麗市。主にライナーノーツを書いたミュージシャンはブルース・スプリングスティーン)。
25歳のときに音楽業界に嫌気がさし、ガソリンスタンドでアルバイトを始めるが半年後に復帰。以後、自称“音楽文化ライター”として、音楽文(評論)を書いたり、番組の構成出演などをしている。ちなみに、“音楽文化ライター”を名乗るのは、音楽を文化のひとつとしてとらえ、その目線から文章を綴っていく思いから。学生時代に文化記号論を学んだことも影響している。
趣味は犬の飼育&テニス。しかし、現在飼っている犬は、なし。テニスは週2回のペースで地元のテニス・スクールへ通い、現在、上級からプレーヤーズへのクラスアップを目指している。そして、テニス・プラクティス体験から“ロック・アスリート”なる新しいジャンルを提唱中。
尊敬する人はフェルディナンド・ソシュール(言語哲学者)&シャーロック・ホームズ(書物上の名探偵)&安倍晴明(陰陽師)。
■これまでに携わったソニー・マガジンズの本
「路傍の岩」、B'z「ウルトラクロニクル」、高橋直純ツアー・ドキュメントブック「smile moon」、GLAYツアーフォトブック「LOVE IS BEAUTIFUL」(以上、著)、渡辺美里「SHE LOVES YOU YEAH YEAH」、藤木直人アーティストブック「NF」、山崎まさよしツアーブック「Transit Station」(以上、構成&インタビュー)
(2007年6月現在)
Portmanteau word=かばん語とは、ルイス・キャロル著「鏡の国のアリス」において、旅行かばんと関連付ける形で作られた、キャロルによる造語のこと。混成語のひとつである。
わかりやすい混成語としては、brunchとは朝食と昼食を兼ね備えた食事のことを指すが、これはbreakfastとlunchの混成語である。
混成語を作るのは比較的簡単だと思うけれども、それを広める=浸透させるのは、けっこうむずかしいと思う。

↑「鏡の国のアリス」(新潮文庫)の表紙。
思想家の吉本隆明さんがお亡くなりになった。
著書の『言語にとって美とはなにか』や『共同幻想論』を、よく読んだ記憶が蘇る。
精密にして美しい筆致が忘れられない。
ご冥福をお祈りいたします。

↑『共同幻想論』の表紙。
漫画家あるいは映像作家の大友克洋さんの原画を集めた"大友克洋GENGA展"が、4月から開催される。
僕は30年ほど前に、JR中央線の某駅で大友さんから原画を受け取ったことがある。
デザイナーに渡すまでの単なる運搬役だったのだが、受け取ってから、えらく緊張して冷や汗が出っぱなしだった体験がある(笑)。
驚異的に精緻な大友さんの画は、その時からすでにアートだった。

↑こちらは大友さんの画集『OTOMO KATSUHIRO ARTWORKS KABA2』。
ザ・ビートルズが参加したアニメ映画作品「イエロー・サブマリン」のピクチャ・ブックを、現在スマートフォンにてDLすると、朗読機能が付いているため、本文を読み上げてもらえる。
映画とはまた違った楽しみ方ができて、とても気に入っているのである。

↑こちらはザ・ビートルズの「イエロー・サブマリン」(劇伴)のジャケット。
レコードが、"ぜいたく品"であった'50〜'70年代の手間と時間をかけたバラエティ豊かなジャケットたち。
それらを集めた国産レコードのジャケット本『昭和のレコードデザイン集』が、発売中である。
手書きのタイポグラフィの美しさ、あるいは"時代の美的センス"を学ぶために、チェックしようと思っている。

↑『昭和のレコードデザイン集』の表紙、そして"帯(おび)"のタイポグラフィのサンプル。
雑誌『WHAT's IN?』が最新12月号からリニューアルされた。
ロゴもページ構成も(判型もビミョーに)変わったゆえ、通巻294号目にして、初の大きな改革といっていい。
ページ数も増えて、値段は据え置きのワンコイン=490円。
エディトリアル・デザイン的には各記事を受け持ったフォトグラファーやライターの名前のクレジット(の級数)が大きくなったのが嬉しい。
この機に、WHAT's IN? WEBの方も新装開店、Twitterもスタートしたので、読後感想〜「インタビューがユルいぞ、佐伯!〜などを書き込んでいただけたら、幸甚です。
↑そのWHAT's IN?最新号。表紙はシドです。
作曲家の、すぎやまこういち氏と言えば、グループ・サウンズ時代、ザ・タイガースの名曲「花の首飾り」や「君だけに愛を」の作曲者というよりも、今やゲーム作品『ドラゴンクエスト』シリーズの作曲者として名が通っているだろう。
11月9日発売のムック「すぎやまこういち ワンダーランド」には、本人インタビューはもちろん、ドラクエの生みの親である堀井雄二氏らとの対談、石ノ森章太郎監修のコミック「ドラゴンクエストへの道」の再録、本人によるドラクエ音楽の解説等が盛り込まれるという。
これは、チェックせねば!

↑「すぎやまこういち ワンダーランド」の表紙。
11月23日から東京タワーで開催されるクイーン展「QUEEN FOREVER」において、76年3月のバンド来日時に『MUSIC LIFE』(洋楽誌)が密着取材し、リリースした増刊号『クイーン・デラックス』が復刻、会場限定発売されるという。
クイーンは本国UKよりも先に日本で火がついたバンドであるから、この復刻は正しいと思う。
確か友人が持っていたなぁ…。

↑クイーンの名盤『オペラ座の夜』(75年リリース)。
作家・坂口安吾の著作「明治開化 安吾捕物帖」を原案にしながらも、大幅なアレンジを加えたアニメ作品「UN-GO」。
水島精二監督が手がけ、アニメーション制作を"ボンズ"がおこなっていることもあり、早速視聴した。
第1回目は人物設定の説明があるため慌ただしかったけれど、キャラクターの"因果"という存在には、奥の深さを感じた。
探偵モノも坂口安吾作品も好きな僕としては、楽しみがひとつできた。

↑「明治開化 安吾捕物帖」の表紙(角川文庫)。
最新3rdアルバム『After Eden』をヒットさせている女性ヴォーカル・トリオ"Kalafina"。
最新作で真なる覚醒を見せたHIKARUさんだが、それも、尋常ならざるコーラス・スキルを持つKEIKOさんと、神々しい声を持つWAKANAさんの中に入って活動してきたからこそだろうと思う。
その3人の歴史はもとより、プロデューサーである梶浦由記さんは3人をどう方向付けているのかがわかるのが、「Kalafina Record」という書籍である。
「Kalafina Record」を読むと、楽曲の中で"声が付帯している物語"や"声で完結する世界"を想像することが、今よりもっと楽しくなること必至だ。
蛇足ながら、僕はKalafinaのボーカル・スキルで、グラミー・アワードが取れると思っているひとりである。問題は"セグメント"だろうが、さしあたって、梶浦さん! English Version,please!(笑)

↑「Kalafina Record」の表紙(ソニー・マガジンズ刊)。
WHAT's IN?最新号は、初のflumpool表紙巻頭号である。
僕もかなりたくさんの原稿を書かせてもらったが、写真もこれまでにない質感で 彼らを表していると思う。
手にとっていただければ、そして熟読玩味していただければ幸甚です。

↑そのflumpoolの表紙。
幕末から明治時代前期にかけて活躍した浮世絵師である月岡芳年(つきおかよしとし)の画集のひとつに"月百姿"がある。
月にまつわる木版画が、ぴったり100枚制作収録された、いわゆる揃いものだ。
僕は、かの芥川龍之介が大変に月岡の画を好きだったことから、この作品を知った。
まだまだ残暑が厳しいが、月を見上げたあとに"月百姿"を鑑賞するというのも、なかなかオツなものかもしれない。

↑photoは"月の四の緒"という画。描かれているのは、小倉百人一首にも和歌がある、平安時代の歌人"蝉丸(せみまる)"である。
チベット仏教ニンマ派の宗祖であるパドマサンババが記した『死者の書:バルド・トゥ・ドル』は、書かれた後、山中に埋められ、後代の者によって発掘された。
つまり"残すために埋められた"とも考えられる。
そこが大変に興味深いし、カッコいいと思う。
早々に日の目を見ないことも"ひとつの手"なのである。

↑『チベットの死者の書』(ちくま学芸文庫)。
仏教学者の故・中村元(なかむらはじめ)先生の講義を受けたのは、僕が大学生の時。
中でもインド大乗仏教哲学の"中観(ちゅうがん)"派が示した、存在や事象の"空性(くうしょう)"は、当時の僕としてはまさに「我が意を得たり」であった。
「どうしてヒトは間違ってしまったのか?」……中村先生の講義から受け取った問いは、夏雲に映えるのである。

↑中村先生の著作の一つ「仏典のことば」(岩波現代文庫)。
フランスの小説家で"SFの父"と呼ばれたジュール・ヴェルヌ(1905年没)が著作『海底二万里~Vingt mille lieues sous les mers〜1870年刊』で登場させた潜水艦がノーチラス号であり、ノーチラス号の艦長がキャプテン"ニモ"だ。
どこか謎めいたニモ艦長のニモとはラテン語であり、英語に直すとNo one、つまり"誰でもない"ということを知ってゾクゾクしたのは、ずいぶんと昔のこと。
オウムガイの意味を持つノーチラス号が、物語の中で海洋・海底の旅に出るのは1867年のことだが、現実の日本の1867(慶応3)年には、かの坂本龍馬が暗殺されている。
2次元と3次元の差こそあれ、その連関を知ったのは、1年前。
新しい何かを知ると、もう一度読んだり聴いたりしたくなるのは、書籍もレコード(CD)も同じだろう。
ノーチラス号は、日本の近海から旅をスタートしているのでもあるし……。
この夏、再びキャプテン"ニモ"に会いに、本を開いてみようか?
(付記)
ドイツの児童文学作家である故ミヒャエル・エンデの著作『はてしない物語〜Die unendliche Geschichte/The Never Ending Story』でもキャプテン"ニモ"は、登場します。
古本屋の店主=カール・コンラート・コレアンダーの口述によって……。

↑『海底二万里』〜岩波少年文庫〜
アニメ音楽誌「リスアニ!Vol.06」が、絶賛発売中である。
今号で僕は『劇場版 戦国BASARAーThe Last Partyー』の鼎談を担当したことは当ブログでも触れたが、個人的に今回もおもしろかったのは、岸田教団&THE 明星ロケッツのinterview(インタヴュアーは澄川龍一さん)。
岸田さんが「単純に今回のアルバムは、今まででいちばん演奏がむずかしい」と発言していて、痛快だった。
普通のバンドやミュージシャンは、そんな明け透けなことは言わないからだ。
この発言だけでも、アルバムを聴く動機に充分なり得るというものだ。
さらに、岸田教団はいわゆるアーティスト写真と呼ばれるものがないゆえ、誌面には文字がびっしり並ぶこととなる。そこもまた、痛快なのである。

↑リスアニ! Vol.06の表紙は「アイドルマスター」です。
SF小説「日本沈没」を読んだのは、確か中学2年の夏だった(刊行されたのは1973年)。
この小説で僕は初めて"プレート理論"、つまり岩板がマントルに乗って動いている、地球内部の構造を探るモデルを知った。
あれから40年近く。
今年は地球内部のエネルギーが一気に放出された際の尋常ならざる状況を、日本の現実として突き付けられた年となった。
その「日本沈没」をお書きになった小松左京先生が、お亡くなりになった。
先見性のある作品を、ありがとうございました。
御冥福をお祈り申し上げます。

↑「日本沈没・上巻」(小学館文庫)。
岩手県の生んだ詩人にして童話作家の宮沢賢治の作品の中で、おそらくもっとも人々に知られているのが「雨ニモマケズ」であろう。
そもそも、彼が持っていた黒い手帳に"自分のためだけに"書かれた"詩のようなもの"は、当然のこと、宮沢の生前には出版されてはいない。
柔軟な発想の持ち主だった宮沢が、あたかも聖人君子のように扱われる「雨ニモマケズ」を僕はあまり好きではないが、それでも興味深い箇所はいくつもある。
そのひとつが、<イツモシヅカニワラッテイル一日玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ>という部分だ。
1日に4合の米を食らうというのは、なかなかの大食漢と言える。
"欲ハ少ナク"と記しつつも、米をばくばくと食らう宮沢を想起すると、可愛らしい人だなと思うのである。
(付記)
宮沢賢治の生誕年と没年に、いずれも三陸沖で津波を伴う大きな地震が起きている。彼が37歳で亡くなっていることを考慮した場合、その間隔は頭の隅に置いておいた方がいいだろう。

↑宮沢賢治・詩集『雨ニモマケズ』(岩崎書店刊)。
佐野元春さんの最新ツアーでファンの方々にも配られた"The 30th
Anniversary Book"が届いた。
過去30年間に書かれたレヴューの中から(おそらくは佐野さんの)印象に残っているものがまとめて再録されている。
僕のレヴューはちょうど20年前、アルバム『Slow Songs』の際に書かれたもので、今改めて読み返してみると「まだまだ硬いなー」と思う部分も多々あるが、逆にその硬さがあったればこその筆致もあるわけで、過去の自分に教えられるものも当然ある。
佐野さん&スタッフの方々、ありがとうございました。
そして改めて、デビュー30周年、おめでとうございます。

↑そのAnniversary Bookの表紙。
国語辞典の編纂などで名高い金田一京助先生が、親身になって手助けをした歌人が、石川啄木氏である。
2人とも郷里が、岩手県盛岡市であった。
石川啄木の歌集「一握の砂」は、3行に分けて短歌を記す散文的なスタイルをとっており、それによって生まれる律動=リズムが、哀切感を普遍的なものにしていると思う。
この頃、移動中に読んでは「ジーン」としているのである。

↑「一握の砂」(朝日文庫)。
"雨が降ります、雨が降る。遊びに行きたし、傘はなし。紅緒の木履(かっこ)も緒が切れた"という歌詞を持つ、童謡「雨」。
作詞は、明治・大正時代を代表する詩人:北原白秋である。
しとしと降る雨に、一種の哀切感を覚えるのは、個人的にこの歌の影響が大きい。

↑「北原白秋詩集」(新潮文庫)。
アニメ音楽誌「リスアニ!」のVol.05が、先日発売された。
今号で、個人的に"大至急読んでいただきたい"記事は、supercellのニュー・アルバムに関するクロス・レビューである。
6人のライター陣は、便宜上、「リスアニ!」からの3人と「What's IN?」からの3人に分かれている。
僕は、「What's IN?」からの出撃である。こうなると、俄然"対決モード"に入る。
いや、特に対決する必然性は微塵もないのだが(笑)、そう思うことが、楽しいのである。
内容は6人6様で、とても勉強になった。
加えて、6人それぞれからの質問にsupercellのryoさんも答えてくれているし、こうした家内制手工業的な企画ページは、大好きなのである。

↑「リスアニ!」Vol.05の表紙は"魔法少女まどか☆マギカ"です。
作家:井伏鱒二(いぶせますじ)氏(広島県出身・故人)の小説「黒い雨」を最初に読んだのは、確か中学3年の時だった。
1945年に広島に投下された原子爆弾。その状況をただ受け入れただけなのに、こうむってしまう"今より先の現実"。
何度でも読む必要のある作品だと思う。

↑「黒い雨」・新潮文庫刊。
古今集に収められた"花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に"という和歌は、周知のように小野小町の作品である。
詠まれている"花"とはサクラのことであり、はかなく散って移ろうサクラの原型イメージは、すでに平安時代にでき上がっていたと考えられるのである。

↑その歌碑のphoto。
先日から宮城・福島・岩手3県にまつわる話を書いているが、岩手といえば僕の場合まず、"日本昔話のふるさと"と称されている遠野(とおの)である。
民俗学の祖である柳田国男先生が記した「遠野物語」には、"座敷わらし"や"カッパ"などが出てくる。
中でも"オシラサマ"の話からは、かつて陸奥馬として多くの名馬を育てた陸奥(むつ)の国の熱情と愛情が感じられるのである。

↑名著「遠野物語・山の人生」(岩波文庫)。
アニメ音楽誌『リスアニ! Vol.04』が、先日発売された。
今期のアニメ作品は注目作が多いゆえ、
当然のこと音楽にも力が入っている。
それらのアニソンをきちんと解読ならぬ解聴するための
記事が並んでいる。個人的によかった記事は、
堀江由衣さんに曲を書いた清竜人さんと堀江さん自身が
それぞれにinterviewを受けていたページ。
対談だと気を遣う場面もあるため、
それぞれにinterviewをすることが望ましいからだ。
その記事のあとに栗山千明さんの記事が載っており、
となると栗山さんに楽曲提供したベンジー(浅井健一さん)
へのinterviewもあるかと思ったが、
あいにくとそれはなかった。
楽曲が素晴らしかったので、読みたかった。
皆様もぜひ御一読を。ちなみにVol.04で僕は、
2011冬クール放映アニメ“OP×EDレビュー”をしています。
作品は『フラクタル』と『テガミバチ REVERSE』です。

↑『リスアニ! Vol.04』の表紙。
37年前に盗難に遭ったエドガー・ドガ氏
(19世紀・フランスの画家)の油絵が、
サザビーズの競売をきっかけに発見され、
フランス大使館に返還されたという。
ドガもまた、他の印象派画家と同じく
北斎などの浮世絵の影響を受けてはいるが、
神経質とも言える精緻な描法=タッチが、僕は好きだ。
作品がしかるべき場所に帰れて、本当によかった。

↑エドガー・ドガの作品集。タッシェン社刊。
ドガはバレリーナをよく題材にしました。
浅田弘幸さんによるコミック作品「テガミバチ」は、
アニメとなって'09年10月から第1期を放映。
'10年10月からは第2期「テガミバチREVERSE」と題され
オンエアされている。
舞台となるのは、夜が明けない星にある
“アンバーグラウンド”という土地。
人々の心が込められた手紙を、危険な地域を旅しながら
送り届ける仕事=国家公務をおこなう者たちが
“LETTER BEE・テガミバチ”である。
年明け放送分では、
ゴーシュ・スウェード(CVは福山潤さん)の記憶も戻ってきて、
いよいよ物語は核心部分へと。
毎週チェックしなければ……。
(付記)
この1月からのアニメ番組は、注目作が多いです。

↑「テガミバチ」のコミックス第1巻。
芥川龍之介の書いた「海のほとり」をダウンロードして
電車の中で読んでいたら、
今年の尋常ならざる暑さの夏を思い出し、
あの時は「もうこりごり」と感じたはずなのに、
本当は未練があるのではないか? とすら思ってしまった。
文章の力って恐ろしい(笑)。

↑「海のほとり」の文面。
例えば音楽を聴いた時に、色を同時に思い浮かべたり、
何らかの「絵」を想起したりする場合がある。
僕はこれを“聴覚映像”と呼んでいるけれども、
一般的には“共(きょう)感覚・Synesthesia”と言われる。
実際に“文字に・音に・数に色が見える”という
共感覚の持ち主は多い。共感覚にはクオリア(感覚質)が
大きく影響していると言われるが、
共感覚の持ち主とおぼしき人とその作品には、
とても興味がある。
作曲家ではアレクサンドル・スクリャービンや
リムスキー=コルサコフ、
画家ではエドヴァルト・ムンクやワシリー・カンディンスキー、
詩人ではシャルル・ボードレールやアルチュール・ランボー、
宮沢賢治などが、
共感覚の持ち主と思われている人たちである。
特にランボーはソネットの中で「Aは黒、Eは白、Iは赤、
Uは緑、Oは青」と記しているため、共感覚の好例とも
なっている。
(余談ながら、僕の誕生日の11月10日は
ランボーの命日でもある)。
共感覚やクオリア、つまり“感覚間伝達”からの接線は、
音楽や絵画、詩の評価や味わい方に
新しい光を投げかけるのではないか?
と思っている昨今なのである。

↑『ランボー全詩集』(ちくま文庫)。
“アニメ音楽誌”である「リスアニ! Vol.03」が発売になった。
今号も充実のinterviewが詰まっており、
特に“I've”サウンドの中核を担う
井内舞子さん、中沢伴行さん、高瀬一矢さんへの取材は、
個人的に“I've”サウンドの成り立ちと歴史を知る上で、
とてもタメになった。
それと「2010 秋クール放映アニメ
OP(オープニング)×ED(エンディング)レビュー」では、
執筆陣に加わらせていただいたので、
ぜひとも手にとって読んでみてください。

↑”リスアニ! Vol.03”の表紙。
雑誌「一個人」に掲載された記事の中から、
古寺名刹に関するものをピックアップして一冊にしたものが
「日本の古寺名刹を巡る」というムックだ
(KKベストセラーズ刊)。
僕自身が訪れたことのある寺も、そうでない寺も、
ことさらむずかしくもなく、
かと言って親近感がすぐに湧くようにでもなく、
ある一定の節度を保ったまま紹介されているところがいい。
昨年亡くなった忌野清志郎さんが
“四国八十八ヵ所・お遍路の旅”を大好きだった自転車で
決行した記事も再録してあり、このページになると、
今でも何かが込み上げてきてしまうのだが、
そうした気持ちになることも含めて、
古寺名刹の魅力をとらえたムックだと思う。
(付記)
先日、NHK-BSで放送されたプログラム『ぼくはロックで
大人になった〜忌野清志郎が描いた500枚の絵画〜』に、
かつての取材データの提供など、
協力させていただきました。ぜひとも、忌憚なき意見を
NHKにお寄せいただければと思っています。

↑09年3月に刊行された「日本の古寺名刹を巡る」の表紙。
WHAT's IN?には季刊誌である「リスアニ!」の言わば
“すき間”を埋める“リスアニ!出張所”なるページがある。
Perfumeが表紙の8月号から3ページに拡大された。
WHAT's IN?の中にある“特区”という感じで
気に入っているのである。
今回は、Kalafinaのライヴルポを書いたので、
ぜひとも読んでみてほしい。

↑そのライヴルポのページから。
アニメ音楽誌「リスアニ!」のVol.02が発売された。
巻頭大特集は「Angel Beats!」であり、巻末特集は
「戦国BASARA弐」だ。
個人的にはsupercellのryoさんへのインタヴューと
岸田教団&THE明星ロケッツの岸田さんへの
インタヴューが、大変に面白かった。
ryoさんが“スタジアムロック”が好きだというのは、
意外だった。音源からは想像できなかったからだ。
岸田さんは、ある意味で正論を小気味よく語る人で、
その歯切れのいい話の裏に一抹の哀愁を感じさせる
インタヴューになっている。
ちなみに、どちらもインタヴュアーは、冨田明宏さん。
楽曲的なことを言えば、supercellの新曲「うたかた花火」は
“この夏の1曲”に選出したいベスト楽曲で、
J-POPが今、もう一度開拓すべきことすらも
含まれているような気がするのである。
我田引水ながら、「戦国BASARA弐」特集の
T.M.Revolution・西川貴教さんへのインタヴューは
僕がおこない、彼の“アニメサイド”を引き出したつもりでいる。
ぜひとも、お手にとっていただきたいなと……。

↑「リスアニ!」Vol.02の表4=裏表紙。
そうです、真田幸村と伊達政宗です。
主人公の女子高生がバンドを組み、初めて手にするギターが
ギブソン社製の“レスポール・スタンダード”だという話を聞き、
半ば「何だとう?」という気持ちでチェックしたのが、
アニメの「けいおん!」。
この作品は、もともとマンガ家の“かきふらい”氏が描いた
4コマ・マンガであった。
第2期アニメも人気を博している。僕は「けいおん!」の
“放課後ティータイム”のシーンに心和んでいる
視聴者のひとりである。
そして、この“ティータイム”の設定が、新鮮だと思う。

↑「けいおん!」を創刊号で特集した雑誌「リスアニ!」。
「けいおん!」の音楽プロデューサーである
小森茂生さんのinterviewを興味深く読みました。
太古、関東平野は海ないしは湿地帯であった。
よって、群馬県の赤城山あたりは水辺になっていたはずで、
そこに遺跡らしきものがあるであろうことは、想定されていた。
1946年、太平洋戦争が終わり、
群馬で納豆の行商を始めた考古ファンの相沢忠洋さんは、
切り通しの中から黒曜石の石片を発見する。それは、
当時日本では存在し得ないと考えられていた
“旧石器時代”のものだった。つまり、
明らかに人為によって作られた石片だったのである。
僕が中学生の時、相沢さんの書いた『「岩宿」の発見』を
読んだ。“単なるアマチュア”と半ば蔑視されていた
一考古ファンが、学会を揺るがすような大発見をするのに、
胸が高鳴った記憶がある。
考古ファンの端くれとして、もう一度読みたい本である。

↑『「岩宿」の発見〜幻の旧石器を求めて』(講談社文庫刊)。
僕ら世代(1960年代生まれ)の“ニャンコ先生”と言えば、
川崎のぼるさんの描いたマンガ「いなかっぺ大将」に
登場するキャラであるが、今どきのニャンコ先生と言えば、
緑川ゆきさんの描いた「夏目友人帳」に
登場するキャラのこと。
「夏目友人帳」のニャンコ先生は、
実は「斑(まだら)」なる妖(あやかし)で、相当強い。
大好きなキャラクターである。

↑「夏目友人帳」第1巻の表紙(白泉社刊)。
入稿時の小休止として画集をながめることは
以前にも書いたが、漢詩をながめるのもいい。
漢字は表意文字だから、それだけで「一枚の絵」足り得る。
本日は、唐代の詩人:王翰(おうかん)の涼州詞より
一編を御紹介したい。
葡萄美酒夜光杯 葡萄の美酒 夜光の杯
欲飲琵琶馬上催 飲まんと欲すれば 琵琶馬上にうながす
酔臥沙場君莫笑 酔うて沙場に臥するを君笑うことなかれ
古来征戦幾人回 古来 征戦 幾人か回(かえ)る
玉杯に注がれた葡萄の美酒を
飲もうとすると馬上で琵琶が鳴る
酔って戦場に横になる私を笑わないでほしい
昔より戦に赴いた者がどれだけ無事に帰還できたことか
そして、この最終行「古来征戦行幾人回」のところを、
僕は石田彰さんの声でよく憶えているのである。

↑岩波文庫より出ている「唐詩選(上)」。
神社仏閣に関する書物で、最近興味をそそられたものは
「神社霊場 ルーツを探る」(光文社新書)という本だ。
著者の武澤秀一さんは建築家(建築博士)であり、
神社霊場にある波動を、単に“感じられる”だとか
“霊験に即して”という感覚軸からではなく、
建築様式、あるいは見取り図と実際の現場の相違点
などから、感覚に触れた波動を読もうとする。
その試みに好感が持てた。
極論すれば「感覚も科学である」と、
僕自身は思っているからだ。
取り上げられている神社霊場のうち、
7割近くを僕も訪れているゆえ、
自分の知覚や視点と照らし合わせながら読むことができた。
中でも、伊勢神宮について記した“真空の存在理由”の章は、
著者の感動が共有を生む言語にまで高められていて、
幾度か読み返した。
神社霊場に御興味のある方は、ぜひ!

↑「神社霊場 ルーツを探る」の表紙。
凡例とは通常、書籍のはじめに
その編集方針や使い方を記したものだけれども、
これが“地図の凡例”となると、
使用する記号などを説明した表のことだ。
僕は地図を見る、というか読むのが、かなり好きだ。
高等地図帳はもとより、日本各地の道路地図は
書棚の一角を占めており、
すぐ取り出せるようになっている
地図を読んでいると、時間を忘れる。
![]()
↑ちなみに、この記号は何でしょうか?
答えは、「湿地」です。
青春出版社から1967年に刊行された「試験にでる英単語」
は、略称“でる単”あるいは“しけ単”と呼ばれ、
43年経った現在でも受験生に利用されている。
僕がお世話になった30年ほど前でも、
堅苦しい単語がたくさん載っており、
しかしながらtextを読むのが受験であり、
会話能力は試されなかったのであるから、
何となく持ち歩いて単語を覚えた記憶がある。
現在は“CD付き”も出ているという。
今度買ってみようかな?(笑)

↑現在は増補版となっている“でる単”。
受験生の皆様、油断せず頑張って下さい。
日本民俗学の祖である柳田國男さんの名著といえば
『遠野物語』だが、柳田先生は植物や鳥類にも詳しく、
いくつかの論考的エッセイを残している。
「野草雑記」はそのひとつで、タケニグサ(チャンパギク)に
関して“どこの地方ではどう呼ばれている”などの
民俗学的接線を当てながら、タケニグサの生態に
“もののあわれ”を感じるに至る文学的側面をも
持ち合わせている作品。
音楽にも民俗学的接線を当てることは可能だ。
例えば楽器の二胡〜三線〜三味線の違いに関して
などには、すぐさま可能なような気がする。
柳田先生の“興味あることへ向ける視線”が
民俗学的接線=方法へと固まっていく過程は、
実に刺激的なのである。

↑「野草雑記」の冒頭部分。
漢詩に精通していたと言われる戦国武将
〜直江兼続が残した七言絶句に
「雪夜囲炉(雪夜炉を囲む)」というものがある。
このブログに“横書き”にて記すのもはばかられるが、
写してみる。
雪夜囲炉情更長
吟遊相会古今忘
江南良策無求処
柴火煙中火畏芋香
(最後の“火畏”は火偏に“畏怖”の“畏”)。
『直江兼続伝』を書いた渡部恵吉氏らの解釈によれば…
雪の夜に心を許しあった友と囲炉裏を囲んでいると、
情けはさらに深まる。詩を作りながら各地を巡り、
今ここに友と会い語り合っていると、
かつて私たちが世の桧舞台で活躍した昔のことも、
移り変わった時勢も、いつの間にか忘れ、
ここに醸された深い情緒に浸る。私たちが献策した
江南の良策(中国の故事に基づく戦争の良策)は、
遂に用いられなかったのだから、それはさっぱりと諦め、
囲炉裏に芋を焼こう。柴の火の煙の中に、
芋の焼ける快い香りがしてくるではないか……
となる。
ゲーム「戦国無双」が半ば定義した“義トリオ”、
つまり石田三成+直江兼続+真田幸村の掲げた思想が
敗北を喫した時からおよそ250年後の1866年、
江戸幕藩体制を崩壊させ、中央集権統一国家の
建設の起点となった“薩長連合”が登場するのである。
まことにもって、僕らは同じ土俵の上をグルグルと回り、
そこから“抜け出しえない”とも言えるだろう。

↑直江兼続が和漢連句の会を催したと伝わる
亀岡文殊堂@山形県。
1900年、文豪:夏目漱石はロンドン留学を命じられた。
その時、33歳であった。
横浜から船に乗り、インド洋〜紅海〜地中海を経て、
イタリアのジェノバに着き、
そこから列車でパリに向かっている。
パリでは万国博覧会を視察してから、ロンドンに向かった。
一方、アーサー・コナン・ドイルが
“シャーロック・ホームズ”シリーズの記念すべき第一作
「緋色の研究」をイギリスで刊行したのは、 1887年。
してみると、ロンドンで夏目漱石が
“シャーロック・ホームズ”シリーズを読んでいた可能性は、
ある。漱石は霧の都で神経衰弱になったというから、
ホームズ作品を好きになったどうかはわからないけれど…。
もしも、夏目漱石がホームズ・シリーズを翻訳していたら、
どうだっただろうか?
読んでみたいとは思うが、翻訳に没頭するあまり
「吾輩は猫である」から始まるところの作品が
生まれなかったならば“それもまたやむなし”と思うのである。

↑光文社文庫より出ている「緋色の研究」。
訳者の日暮雅通さんは
“ベイカーストリート・イレギュラーズ”の会員だそうです。
コミックス『新テニスの王子様』〜第1巻を読む。
中学テニス全国大会で数々の名場面を生んだ
プレイヤーたち。その中の50人が、高校日本代表合宿に
呼ばれた…というのが「新テニプリ」の設定である。
第1巻では、今までのレジュメ(要約)的な部分が多いが、
テニプリのキャラたちは皆、
名ゼリフと高等個人技を持っているゆえ、
おさらい的な部分が多くても、嫌みにならない。
むしろ今後、高校生としてどれだけ魅力的な新キャラを
出せるかが、考えどころだろうと思う。
本日のブログ・タイトルは、
主人公の越前リョーマくん発する決めゼリフ。
新シリーズでも、健在である。
個人的に高3の鬼 十次郎くんが、
ギターリストの布袋寅泰さんに似ているなぁと思ったのは、
はたして僕だけだろうか?(笑)

↑リョーマくんが、地下鉄のプラットフォームに向かって
ツイスト・サーヴを打つ超カッコいい1コマ。
やってみたーい!(←ツイスト、打てないくせに…)。
2度目か3度目にNYCに行った時だから、87年・夏頃のこと。
ソーホーに、ほど近いマクドナルドで店員に
「You have iced coffee?」と聞いた。
すると、にべもなく「NO!」と。
「cool coffee」と言っても、「coffee with ice」と言っても、
「そんなものはない!」の一点張り。怪訝そうな顔つき&
「このアジア人、ヘンよ、ヘン!」光線が飛んでくる。
らちが明かないので、仕方なく
「a cup of hot coffee&crashed ice.Both,please」
と言ったら、通じたようで、その2つを出してくれた。
テーブルにつき、
ホットコーヒーをクラッシュアイスの中に入れる時、
店内にいたほぼ全員から
矢のような視線がこちらに向けられるのを感じた。
アイスコーヒーは、
大正時代に日本で試みられ定着したもので、欧米には
冷製コーヒーを飲む習慣がないことを、あとになって知った。
スターバックスの台頭により、
近年「Iced coffee」が普及した。
あの時僕が、アイスコーヒーに執念をもって
食い下がったからであろう(←違うと思う)。

↑ソーホーのマクドナルドで、僕はまるで
「異邦人」の気分でした。なので、
アルベール・カミュの傑作『異邦人』をお奨めします(←大げさ)。
夏休みを利用して、世界文学全集などの“全集本”を読んで、
一種の体系を知ってみるのも一興かと思われる。
理由として…
僕らは毎日さまざまな情報を
受け入れては忘れているけれども、
そのほとんどは任意的かつ散発的なものであって、
仮にそれが毎日の生活に必要なものであれ、
マクロ的に観れば、それらの情報は、
依拠する母型(matrix)を持たぬもの、
あるいはmatrixが見えにくいものである。
母型や体系を知ることは、毎日の情報が
どこに依拠するのかを見抜く力を養うことにも通じていく。
早い話、「何を忘れて・何を忘れてはならないか」を見抜く
境界線がわかってくるのである。
僕は文学や哲学が好きだが、
歴史や科学、天文の全集本など、
読んでみたいジャンルの全集はたくさんある。
もはや長い夏休みは個人的に存在しないとは言え、
かつて読んだ全集のたとえ一冊でも再読する気力は、
未だ持っている。

↑小学館から出ている全集『日本の歴史』は、
読んでみたい全集のひとつ。
Photoは、その第一巻の表紙です。
Armchair Detective(安楽イス探偵)とは、
事件現場に直行することなく、
当事者あるいは当事者周辺の人間の話や情報によって、
事件を解決に導く人=探偵のことを指す。
アガサ・クリスティ氏の推理小説に出てくる
ジェーン・マープル(愛称はミス・マープル)は、
僕の考える安楽イス探偵の筆頭である。
もちろん厳密には、
ミス・マープルも自分から事件現場に出向いたり、
出かけた先で事件にあったりもしているけれども、
“人の話をよく聞き、想像し、推理する”ということにかけては、
第一級の探偵的人物である。
(付記)
かのシャーロック・ホームズもベーカー街221bを離れずに、
推理し、解決に導いた事件もあった。がしかし、
自分は動かずワトスンを半ば遠隔操作して、
苦い結末を迎えた事件もあった。その悪名高き事件は
「フランシス・カーファクスの失踪」である。

↑『アガサ・クリスティ短編集』。
左側が、ミス・マープルさん。
右側は、“灰色の脳細胞”でおなじみの
エルキュール・ポワロさんです。
昨日記した“こと座”には、神話が付いて回っている。
そう、ギリシャ神話の「オルフェウスとエウリュディーケ」
の伝説である。
その伝説は、日本神話の「イザナギとイザナミ」の伝説と、
大変によく似ている。どちらも、冥府に旅立つ話だ。
“酷似する神話”から、
人類共通の素地あるいは下地があるのではないか?
と考えた人が、心理学者のカール・グスタフ・ユング氏だった。
僕自身、若い頃は
「人類共通の何か」など、ほぼ絶対的にない!
と思っていたけれども、
それは不勉強ゆえの回答だったのではないかと
思うようになった。
受け止め方が変化するのは、おもしろいものである。

↑ユング著となる『人間と象徴-無意識の世界-』。
翻訳は、故・河合隼雄先生です。
「ファーブル昆虫記」を最初に読んだのは、
小学校1年の夏休みだったと記憶している。
フランスの生物学&博物学者である
ジャン=アンリ・ファーブル氏は、
「昆虫記」において、虫たちの“生態”を記した。
それは、まことに画期的なことだった。
ファーブル以前の昆虫学は、虫の標本の収集と分類、
そしてその標本に基づく研究が主たるものであった。
言い換えれば「生きていないもの」を研究したわけだ。
ファーブルが昆虫の生態に没頭したのは19世紀であるが、
17世紀あたりまでヨーロッパの人々は
「蝶はキャベツの露から生まれる」と思っていたようで、
それは“一編の詩”にはなるかもしれぬが(笑)、
昆虫のことは何も知らないに等しい。
そして標本が収集され、例えば虫たちの身体の構造などが、
明らかにされていった。
ファーブルは、生きた昆虫の生態を忍耐強く観察した。
そうすることにより、
ほとんどわからなかった“生態行動の意味”、
言うなれば“昆虫が持つ世界”が、はっきりした。
以前、続・音漬日記にも書いた動物行動学における
“ゲシュタルト=環境世界”は、
ファーブルなしには考えられなかったのではないか?と、
僕は思っている。
夏にさまざまな虫たちを見るたびに「ファーブルは偉大だなー」と、
心底から思うのである。

↑不朽の名作『ファーブル昆虫記』。
奥本大三郎先生の翻訳も素晴らしいです。
本日は、作家:太宰治の命日“桜桃忌”である。
そして、生誕100年記念だ。
僕の通った高校から大宰先生のお墓は
さほど遠くなかったため、この時季、
文学好きの友人と墓参りに行った記憶がある。
森鴎外の墓とほぼ対面しているところに
かなり感動した。
あれから、およそ30年。
自分の根幹部分は、ほとんど変わっていないな、
と思う。

↑集英社文庫〜新装版の「走れメロス」。
表紙を描いているのは、「テニスの王子様」の作者、
許斐剛さんです。
過去に“プチセブン”“ホットドッグプレス”
“DONNA”“BOON”といったファッション誌で
連載を持ったことがある。
仮に音楽のことを書いても、ファッションの
ページに挟まれていると、何やら気分がいい。
音楽、特にポップ・ミュージックと
ファッションは不可分な領域で、
ほとんど「=」で結んでも差し支えないくらいだ。
例えば、スーツを着たヒップホッパーが、
ほとんどいないように…。
モヒカン・ヘアのジャズ・ミュージシャンも
まずいないだろう。
ファッションは、園芸で言えば“切り花”である。
その心は「旬であること」だ。
時季ごとに旬の切り花が花瓶に生けられるけれど、
よく観察すると、“あるサイクル”が見て取れる。
ファッションというすこぶる人為的かつ
恣意的に思われるジャンルでも、
似たようなファッションが流行する
サイクルが存在する。
それがわかってくることが楽しいが、
それは同時に
“年を食った”ということなのである(笑)。

↑最近、原稿を書いた雑誌「In Red」(宝島社刊)。
30代女性、今夏のファッション動向は
把握しました(←意味ないだろ!?)。
外国語を学ぶ際に、単語をひとつ覚えたら、
即座にその対義後と類義語を調べると、
系統的に、かつ比較的早く語彙を増やせる。
そして、僕の場合だったら、最終的な
“アウトプット言語”である日本語を豊かに
しなければいけないわけで、
そのためには本をたくさん読むのが一番だが、
より直接的に学ぶための道具として、
「類語辞典」という重宝な存在がある。
早い話“別の言い回し”を学ぶわけだけれども、
安易に使うと「佐伯さんらしくなーい!」なとど
言われてしまうから、ある程度の吟味が必要だ。

↑すでに四半世紀近く使用している「類語国語辞典」
角川書店刊。全1309ページ。
一生かかってもマスターできないでしょう(笑)。
卒業式のシーズンである。
「仰げば尊し」の歌詞にある“我が師の恩”を
今の仕事に感じることがあるか?
と問われれば、答えは「YES」だ。
以前、このブログに書いたけれども、
僕のキャリアの出発点は、洋楽雑誌「rockin’on」
への投稿であり、したがって、当時「rockin’on」
の編集長であった渋谷陽一さんから直接の
文章指導を受けた。
と同時に、当時‘70年代の終わりには、
同じ10代後半の若手ライターがたくさんいて、
いい意味でしのぎを削っていた。
“読者が選ぶライターBEST10”などというものもあって、
僕はいつも7位とか8位のビミョーな位置だった(笑)。
あの頃、切磋琢磨した仲間は散り散りになって
しまったけれど、我が師の恩は忘れてはいない。
その恩に正しく応えるためにも、僕は、
音楽評論を書き続けているのである。

↑「rockin’on」時代の音楽評論も収めた
拙著『路傍の岩』。現在は絶版ですが(笑)。
コミックス最終第42巻が08年の6月にリリースされたから、
連載はその3ヶ月くらい前には終わっていただろうか?
マンガ「テニスの王子様」が「新テニスの王子様」
となって、新連載を開始した@「ジャンプスクエア」。
僕が通称“テニプリ”を知ったのは、テニス雑誌
『スマッシュ』に作者の許斐剛(このみたけし)さん
のインタヴューが載っていたからだ。
許斐氏は「ラケットやシューズなどの道具をなるべく
きちんと描いています」と発言。読んでみると、
主人公:越前リョーマのラケット〜ブリヂストン社製
“ダイナビーム・グランディア”や、
天才:不二周助のラケット〜プリンス社製
“トリプル・スレット・リップ”が、
本当に丁寧に描かれていた。
僕はその頃、テニスを始めたばかり。スクールの
“初級”で、場外ホームラン級の打球を連発していた。
ドライヴ・ボレーはおろか、ジャンピング・
スマッシュさえ、ろくに打てなかった。
“テニプリ”に引っ張られる形で、練習を積んだ。
今は“上級”にいて、ドロップ・ショットも
ムーン・ボレーも打てるようになった。
WHAT’s IN?の校了をひと通り終え、
新連載第1回目を読む。
越前リョーマがマンハッタンの地下鉄の駅のホームで
“ツイスト・サーヴ”を打つ際のグリップの握りは、
きちんとコンチネンタルになっているし、
不二周助がトリプル・カウンターのひとつ“白鯨”を
片手バックハンドで打った時の“残った左腕”は
相変わらず、美しく描かれている。
春はもう、すぐそこまで来ている。
“新テニプリ”も始まったことだし、
再び燃えてみますか?(←かなり単純)。

↑付録で付いてきた「公式ファンブック 0.5」。
「佐伯君は心もイケメンだから」という20歳・女性
の意見にニンマリしました。
(↑それは、六角中の佐伯虎次郎くんに
寄せられたコメントだろうが!ヴォケ!)。
