佐伯 明(さえきあきら)
1960年11月10日・東京都国立市生まれ。さそり座B型。中央大学文学部フランス文学科卒。
17歳のときに音楽雑誌「rockin’ on」に投稿したものが記事となり、音楽文の執筆をスタートさせる(ちなみに最初に記事になったときの題材はジェフ・ベック。最初にインタビューをしたミュージシャンは忌野清志郎&仲井戸麗市。主にライナーノーツを書いたミュージシャンはブルース・スプリングスティーン)。
25歳のときに音楽業界に嫌気がさし、ガソリンスタンドでアルバイトを始めるが半年後に復帰。以後、自称“音楽文化ライター”として、音楽文(評論)を書いたり、番組の構成出演などをしている。ちなみに、“音楽文化ライター”を名乗るのは、音楽を文化のひとつとしてとらえ、その目線から文章を綴っていく思いから。学生時代に文化記号論を学んだことも影響している。
趣味は犬の飼育&テニス。しかし、現在飼っている犬は、なし。テニスは週2回のペースで地元のテニス・スクールへ通い、現在、上級からプレーヤーズへのクラスアップを目指している。そして、テニス・プラクティス体験から“ロック・アスリート”なる新しいジャンルを提唱中。
尊敬する人はフェルディナンド・ソシュール(言語哲学者)&シャーロック・ホームズ(書物上の名探偵)&安倍晴明(陰陽師)。
■これまでに携わったソニー・マガジンズの本
「路傍の岩」、B'z「ウルトラクロニクル」、高橋直純ツアー・ドキュメントブック「smile moon」、GLAYツアーフォトブック「LOVE IS BEAUTIFUL」(以上、著)、渡辺美里「SHE LOVES YOU YEAH YEAH」、藤木直人アーティストブック「NF」、山崎まさよしツアーブック「Transit Station」(以上、構成&インタビュー)
(2007年6月現在)
先月、INAZUMA ROCK FESのあとに大津市の三井寺に足を運んだ(三井寺は圓城寺〜おんじょうじ〜とも呼ばれる)。
ここは、かの武蔵坊弁慶が比叡山・延暦寺まで引っ張っていったと伝わる巨大な鐘や、"あか井"と言われる霊泉が湧き出ているところがあるが、国宝となっている金堂が、素晴らしく美しい。
しばし時間を忘れて見とれていた。

↑その金堂のphoto。
京都から東海道新幹線の上りに乗り、それが名古屋までの各駅に止まる場合、最初に止まる駅は"米原(まいばら)"、次に止まる駅は"岐阜羽島(ぎふはしま)"である。
僕は、このあたりがかなり好きだ。石田三成が好きだからだろうか?

日本最大級の鍾乳洞である秋芳洞(あきよしどう)@山口県を訪れたのは、もうずいぶんと前のこと。
洞内の年平均気温は16℃ぐらいであるから、夏は涼しく冬は暖かい。
"自然が作った巨大な迷宮空間=ダンジョン"という形容も可能だ。
またいつか、行ってみたい。

↑洞内の"百枚皿"と呼ばれる場所のphoto。
江戸時代の伝説的な彫刻職人である左甚五郎(ひだりじんごろう)の作品は、各地の神社仏閣に残されているが、中でも有名なのは日光・東照宮@栃木県の"眠り猫"だろう。
眠り猫の反対側に彫られているのが雀(すずめ)であり、雀がうるさく鳴いても起きない猫は、平和のしるしとも言われる。
だが、一種の不敵さも感じるのは、はたして僕だけだろうか?

↑眠り猫のphoto。
福井県にてナポレオン石という岩石を見たことがある。
ナポレオンの生まれたコルシカ島で最初に発見されたことから、この名が付いた、輪状紋様が特徴的な石だ。
日本では、福井のほか、香川、宮崎、佐賀の4県でしか産出しないそうだが、
地質の何が関係しているのか、知りたくなる。

↑ナポレオン石のphoto。
四万十川@高知県に行った時に知った幻の魚"アカメ"は、海水と淡水が混じる汽水域に棲む、体長1メートルにもなる肉食魚。
もともとは黒目だが、光の反射の仕方によって赤く光るところから"アカメ"という名が付いた。
絶滅危惧種に指定されつつ、釣り上げる人もそこそこいると聞く。
一度見てみたい魚である。

↑アカメの紹介ボードphoto。
東日本大震災で全路線のうちの3/4に大打撃を受けた仙台臨海鉄道の、現状視察をした。
「瓦礫の山はずいぶんと片付けられたんですよ」という地元の人の話ではあったけれど、物資輸送という役割を停止せざるを得なくなった津波の爪痕は、未だはっきりと残っていた。
被災された方の茫然自失状態が、ほんの少しだけわかったような気がした。

↑草むす錆び付いた線路と、かろうじて残った感のある社名入りコンクリート柱。
江戸時代初期の画家である俵屋宗達の作品「風神雷神図」は、もともと京都の建仁寺に収蔵されていた。
また行ってみたい寺の一つである。

↑建仁寺に至る途中にある看板。
沖縄県地方で、家の門や屋根の上に据えつけられた狛犬に似た像であるところのシーサーには、御存知のように魔除けの意味がある。
狛犬の影響を受けて、いわゆる"阿吽(あうん)"像の対(つい)として据えられるようになったが、もともとは単体で据えられていたとも聞く。
シーサーには、たくさんのヴァリエーションがあり、そこが好きなところである。

↑沖縄で見かけたシーサー。
7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日であり、235年前の今日、アメリカは独立宣言を採択した。
この日に聴きたくなる楽曲は、ジャクソン・ブラウン氏の「Of Missing Persons」という曲だ。
直接的には、亡くなったローウェル・ジョージ氏にインスパイアされて書かれた曲だが(1980年)、タイトルが複数形になっていることで、ブラウンの心の中には、死んでいったロックの偉人たちが明滅していたに違いない。
にぎやかな独立記念日の街の片隅で、「And you can sing this song on July The Forth」と歌っているブラウンを想起する時、彼の心のヒダがわかってくると同時に、独立記念日の光と影が、かげろうの如く立ち現れるのである。

↑御存知"自由の女神像"のphoto。かつてハドソン・リヴァーから見上げた自由の女神は、とても大きかったです。
岩手県の平泉町が、世界文化遺産に登録された。
東北地方では、青森県から秋田県にまたがる白神山地が世界自然遺産に登録されているが、文化遺産としては、平泉が東北地方で初となる。
登録延期となってから3年、エリアを絞って再審議を待ったのが功を奏したのだろう。
浄土思想を具現化した中尊寺や毛越寺が、世界に広く知られることを願っている。

↑中尊寺の一角にある白山神社の能楽堂。
天下分け目の合戦として知られる関ヶ原の戦いに、"もうひとつの関ヶ原"と呼ばれる「長谷堂城の戦い」がある。
実質的には、上杉軍と最上軍(伊達軍)との戦いである。
長谷堂城跡に登ってみると、関ヶ原ほど広くはないが、どこか似ているところを感じるのである。

↑長谷堂城跡にあった旗のphoto。
みんなに等しく幸せな場所とは、どういうものだろう?
ここが、その答えのひとつです。
950年前にあった不安な時代に造られました。
さっきから、ここにいる私からもひと言。
「大丈夫。誰にも楽園は、きっとあります」
上に記したのは、2003年の夏に放映されたJR東海CMのナレーション。
3・11の大震災が"貞観(じょうがん)地震"以来の、それこそ1000年に一度級のものであるなら、今回の不安もまた貞観地震に匹敵する、あるいはそれ以上のものだろう。
不安な時代に造られた宇治@京都にある平等院。
"皆に等しく幸せな場所を築く"……昔の人が偉く思えるのは、果たして僕だけだろうか?

↑その平等院鳳凰堂のphoto。
今日は、千葉県の印西市(いんざいし)に行った。
印西市の北部には利根川が流れており、東京からは60〜70キロ離れている。
小旅行の気分で電車に揺られた。
高層ビル群と田園風景がデジタルに連立するところだった。

↑北総鉄道に乗って行きました。
以前にも記したことがあるが、高野山(こうやさん)にある"奥の院"には、戦国武将の墓から戦災や大事故で亡くなった方の慰霊碑・慰霊塔まであり、言うなれば"日本の墓所"のようなところである。
今回の震災でお亡くなりになった方々の慰霊碑も、いつの日か奥の院にできるのではないだろうか。
個人的にも、慈悲深い奥の院にできてほしいと願う。

↑奥の院にある伊達政宗公の墓所。
"日本三景"のひとつ、宮城県の松島は、松島湾にある大小260もの島々が織り成す景勝地。
今回の大地震で、これらの諸島が津波エネルギーの半ば緩衝材になり、沿岸地域は大きな被害を受けなかった。
地元の人々からは「島が守ってくれた」という声も上がっている。
海岸近くにある僕の大好きな国宝・瑞巌寺(ずいがんじ)も、壁に亀裂が入った程度で収まったと聞く。
「前に松島、後ろに瑞巌寺」…である。
確かに"守られている"のかもしれないな、と思う。
↑瑞巌寺の境内一角。
福島県・会津若松市にある若松城は、別名"鶴ヶ城(つるがじょう)"とも呼ばれる。
葦名直盛、伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明、保科正之などの城主を擁し、明治元年の"会津戦争"を戦い抜いた鶴ヶ城。
鶴ヶ城の歴史を振り返る時、"東北の肝胆(かんたん)"を感じることができるのである。

↑鶴ヶ城・歴代城主の家紋photo。
岩手県・平泉町にある中尊寺(ちゅうそんじ)は奥州藤原氏三代ゆかりの寺であり、平安時代の荘厳華麗な仏教文化を今に伝える名刹である。
さらに1958年には延暦寺@滋賀県から不滅の法灯が分けられ、天台宗の東北総本山にもなっている。
本日、中尊寺にてこのたびの大震災でお亡くなりになった方々の法要が営まれた。多くの方々の鎮魂になることを切に願っている。

↑中尊寺金色堂に至る階段。僕は"月見坂"と呼ばれる参道が、特に好きです。
昨日書いた"遠野郷"から国道283号線で太平洋側に向かうと釜石に出る。
さらに国道45号線で南下すると、大船渡、陸前高田、そして気仙沼に至る。いずれも今回の大地震で多大な被害をこうむったところである。
45号線から時おり見える陸前海岸の海岸線は、とても美しい。
そして、気仙沼に入る手前で左折すれば唐桑半島に達する。ここには、柳田国男先生の文学碑があったり、巨釜(おおがま)と呼ばれる大理石の奇岩がある。
以前、気仙沼を訪れた際は唐桑半島に行けなかったけれど、"半島フェチ"の僕としては、いつか行ってみたい場所なのである。

↑気仙沼のphoto。クルマの向こうにはたくさんのカラフルな漁船が碇泊していました。
そして、伊達政宗公といえば、その忠臣にして軍師であった片倉小十郎こと片倉景綱が思い出される。
関ヶ原の戦い以降、城主になった白石城(しろいしじょう)に出向くと、不思議にも、勝者であった片倉小十郎と敗者であった真田幸村の間に、心深い"義"が存在したことが、わかってくるのである。

↑その白石城のphoto。
かつて、プラハ@チェコ共和国のホレショヴィッツェ駅に停まっていたブタペスト行きの列車に飛び乗りたい衝動を抑えるのに苦労したことがある。
尖塔を持つ建物が多いことから"百塔の街"とも形容されるプラハ。
そこから逃げ出したくなるような重い空気を孕んでいると同時に、一度足を踏み入れたら逃れられなくなるような、魔的魅力を持つ街でもあった。

↑カレル橋の夜景。プラハの歴史地区は、世界文化遺産に指定されています。ちなみに、京都市とは姉妹都市の関係です。
沼沢地や湿地の環境保全の目的で締結されるラムサール条約は、水辺が好きな僕としては関心のある条約である。
日本で最初にこの条約に登録された場所は釧路湿原@北海道だが、他にも琵琶湖や宍道湖、尾瀬@栃木や串本海域@和歌山など、興味の尽きない場所が、現在登録されているのである。
↑釧路湿原を走る“ノロッコ号”のphoto。運がよければ野生動物に会えます。
現存天守12城のひとつ、高知城は、初代土佐藩主の山内一豊に よって築かれた。
それ以前、この地を統べていたのは長宗我部氏であったが、関ヶ原の戦いで西軍に加わった長宗我部元親の子である盛親は徐封され、山内一豊が掛川城から転入した。
つまり、一豊公は現在の静岡から高知にやってきたというわけだ。
1727年に焼失するが、1753年に再建。250余年を経て今に至っている。
少なからず開放的造りの城だと思う。
↑高知城のphoto。
太平洋戦争末期の1943年、上野動物園にいた猛獣類は
脱走した場合に危険であると見なされ、
ライオンやゾウなど24頭が処分された。
だが、これは一種の詭弁であり、軍部には
戦火が本土に及ぶという読みがあったのだろう。
事実、翌1944年から東京は空襲を受け続けた。
終戦後、下町の子供たちが「動物園にゾウがいません。
ゾウをください」とインドの首相に手紙を書いた。
時のインド首相〜ネルー氏〜は、賢いゾウを一頭探し、
自分の娘と同じ名前を付けた。
それが“インディラ”だった。
インディラは1949年、船で東京・芝浦に到着。
芝浦から上野公園までの道を、
なんと2人のゾウ使いを背中に乗せ、歩いたという。
深夜だったとはいえ、見物人の中には
そのまま上野動物園まで一緒に付いて歩いた人も
何千人といたと聞く。
僕が最初に上野動物園でインディラを見たのは、
それから16年後のことである。

↑インドで購入した小さなゾウの置物。
桑田佳祐さんのニューアルバム『MUSICMAN』
(2/23発売)のジャケットを画像で見ていたら、
龍安寺(りょうあんじ)@京都の石庭を思い出した。
白砂の上に15の石を配置した枯山水(かれさんすい)の庭は、
十五夜=満月とも関係があると言われている。
“せめぎ合う完全と不完全”の観念でもある。
また行ってみたい。

↑龍安寺にてpic。撮影可でした。
<告知>
USAグラミー賞の
“ポップ・インストゥルメンタル・アルバム部門”に
ノミネートされたラリー・カールトン氏と松本孝弘氏の
『TAKE YOURPICK』。授賞式を前に、2人のライヴと
ギターリストとしての魅力を特集した番組がオンエアされます。
●「Larry Carlton&Tak Matsumoto Special~TAKE YOUR PICK」
2/10(木)21:30〜WOWOWにて。
お時間許す方は、ぜひ!
はばかりながら、僕も構成・出演に関与しています。
“はんなり”とは関西圏、特に京都で使われる言葉で
“上品で明るく華やかなさま”を意味する。
もともとは“花なり”だったと聞いたことがある。
音便化して“はんなり”と柔らかくなるところが、
京言葉らしいなと思う。

↑京都・嵐山駅ホームのphoto。照明が独特です。
主要な駅の駅前は、立体交差などになっているところが
多いけれども、歩道や車道が重層的になっていない、
フラットな駅前がけっこう好きである。

↑北陸本線の長浜駅@滋賀県の駅前。今年の
NHK大河ドラマ「江(ごう)〜姫たちの戦国〜」に登場する
浅井(あざい)長政の居城であった小谷(おだに)城は、
同じ長浜市内にあります。
寒波が入り込んで、日本海側から東北にかけて
けっこうな積雪があったというが、
僕は冬の日本海が好きである。
荒波が岩に当たって砕け散るのをボーッと見ていたい。
などとブログに書いているのは、
年末の忙しさから来る“意識の逃避行”なのである(笑)。

↑冬の日本海photo。
和室の間仕切りに用いられる建具としての襖(ふすま)、
そこに描かれるふすま絵は、
国宝級のものから現代的ポップアートっぽいものまで
多岐にわたる。
重厚な絵は、広い部屋空間がなければ、
やはり映えないと思う。

↑以前、水戸の偕楽園で観た“白萩”のふすま絵。
十畳くらいの部屋に合っていました。
加賀百万石の土台を築いた前田利家は、
傾奇者(かぶきもの)として近年、人気を博している
前田慶次の叔父にあたる。
利家と慶次の間には確執があったというが、
“水風呂”の話などを聞くと、そうとも思えない。
「いい湯加減ですよ」と慶次がすすめた風呂は、
氷水に近い冷水だったという。利家が激怒するうちに、
慶次は出奔(しゅっぽん)したのだった。

↑前田利家公の像。利家自身も傾奇者だったらしいです。
今日は、京都を離れる前に、少しばかり東山を歩いた。
人力車を操るドライヴァーは、坂が多くて大変だろうなと
思っていたが、急坂では乗客と対面になり、
話をしながら登っていく光景が繰り広げられていた。
京都弁が、柔らかく響いていた。

↑その、人力車の光景。
京都には上(かみ)、中(なか)、下(しも)の
立売通(たちうりどおり)があるけれども、
なぜに“立ち売り”と名付けられたのかと言えば、
昔から沿道に店舗を持たない、
つまりは“立ち売り商”を営む人が多かったことから
付けられたことを、今日知った。
本日の京都は、連休最後の日ということもあって、
かなりの人出だった。
いたるところで、中国語と英語を聞いた。

↑京都“市バス”の路線図より。立売通の中では
中立売通が有名ですかね?中立売御門もありますし。
人影もまばらな夜の駅舎とホームが好きである。
したがって、東京の渋谷や新宿だと、
夜の方が昼間よりもホームや駅周辺に
人が密集している場合があるので、
必然的に地方の駅舎が好きになる。
これからの時季は、夜風も心地よくなるだろうから、
駅舎をながめながら、和んでみたいものだ。

↑以前訪れたVancouver@カナダの
パシフィック・セントラル駅。
どう見ても高級ホテルのようですが(笑)。
今日、取材に行く途中で新宿駅構内にある
“アルプス広場”の横を通った。
昔は、重装備の登山者や中高生でごった返していたが、
今日は平日のためか、登山者も中高生もいなかった。

↑アルプス広場の案内灯。
インドの首都であるデリーから、南西におよそ250キロ行った
ところに、ラジャースタン州の州都“ジャイプール”がある。
ここはPINK CITYとも呼ばれるが、
何も“巨大な歓楽街”というわけではない。
周囲約10キロにわたる城壁にならい、
旧市街の建物は、城壁の赤砂岩の色と同様、
すべてローズ・ピンクだからである。
かつて、牛や象、クルマやリクシャーが行き交う道路を歩き、
ハワ・マハル(Hawa Mahal)に行った。
『風の宮殿』と訳されるこの建物は、奥行きがなく、
横から見ると分厚い屏風のような奇妙な建物だった。
聞けば、外に出ることのなかった宮廷の女性たちが、
ひっそりと街の様子を見るために作られたものだそうだ。
透かし彫りの窓には風が吹き込み、
時に心地よい音をたてる。
僕は、街の風景には目もやらず、それどころか目を閉じ、
ひたすら風の音を聴いていた。

↑『ハワ・マハル』のphoto。
琵琶湖から流れ出る瀬田川は、のちに宇治川と名前を替え、
さらに桂川や木津川と合流し、
最後に淀川となって大阪湾に注ぐ。
この、淀川水系のどの部分が好きかと問われれば、
僕の場合は宇治川である。
源氏物語にも平家物語にも、
宇治川が舞台となる一幕がある。
そうした物語性が(今でも)宇治川を
比類なきものにしていると思う。

↑今年5月の宇治川。向こうに見える赤い橋は「観流橋」。
暑くなってくると、
暑い場所に行った記憶が蘇ってくるから不思議だ。
過去に訪れた場所で、かなり暑かった場所は、インドである。
ミネラルウォーターばかり飲んでやる気の出ない身体に
ムチ打って、ムンバイ(ボンベイ)の東に位置する
“エローラ石窟寺院群”に行ったのは、いつかの夏のこと。
エローラは、仏教はもちろんのこと、ヒンドゥー教や
ジャイナ教の石窟が共存しているところが特徴で、
世界遺産である。
拭き出した汗が止まってしまうほどの、荘厳さだった。

↑エローラ石窟寺院群の一部。
群馬県と長野県の境にある渋峠(しぶとうげ)を通る
国道292号線は、もともと志賀草津有料道路だった。
この292号線の渋峠には、日本一の国道最高地点がある。
標高は、2172メートル。ちなみに、
鉄道の最高地点が1375メートル@野辺山だから、
国道との標高差は、およそ800メートルもある。
渋峠には夏にしか行ったことがないけれど、
夏でもかなり涼しい。標高を考えたら、当たり前である。
今年の夏が猛暑だったら、ぜひとも行ってみたい。

↑渋峠をおりたところにあるのが、渋・湯田中温泉。
Photoの「目洗いの湯」は眼病や疲れ目に効くというので、
かつて入ったことがありますが、湯温が超熱かったです。
ここのところ入稿時期なので、毎日原稿ばかり書いている。
外にもあまり出ないので、
「名もなき入り江にて、釣りでもしたいなぁ」などと夢想する。
現実感を伴わない、まったくの夢想である(笑)。

↑名もなき入り江のphoto(実際には名前がありますが…)。
重伝建(じゅうでんけん)とは、
重要伝統的建造物群保存地区の略称である。
古い街並みや歴史を刻んだ集落を残そうとする地域住民が、
国の審査を受け、
選定されれば保存にかかる費用の補助が受けられる。
重伝建に選定され、その後、世界文化遺産に登録された
白川郷@岐阜県の例もあることから、
重伝建は、言ってみれば文化的に高いポテンシャルを
持っているのでもある。
門前町、宿場町、武家町、港町など、
重伝建に住んでいる方たちは、ぜひとも世界遺産への
“飛翔”を狙っていただきたいと、僕は思っているのである。

↑坂本@滋賀県・大津市は、重伝建のひとつですが、
そこで観た桜のphoto。
ここは穴太衆積みと呼ばれる石垣が素晴らしいです。
重文=重要文化財とは、
日本にある文化財のうち(建造物を含む)、
学術面から、あるいは文化史面から重要とされるもの。
さらに、重文の中から世界的に見ても価値のあるものが、
国宝となる。
重文を続けざまに見てから国宝を見ると、
その価値の段差がわかるような気がする。
国宝を見て歩く旅というものも、してみたい。

↑天守が国宝に指定されている松本城。
僕の名前を“明=ミン”と呼んでくれるへそ曲がりな知人が
いるのだが、それはさておき……。
中国の歴代王朝のひとつである明朝(みんちょう)の
第3代皇帝である永楽帝が、北京に建立したものに
天壇(てんだん)がある。
これは、皇帝自らが祭事祈祷をおこなった
巨大な祭壇として機能する建物・場所である。
天は円形であり、地は方形であるという
古代中国の宇宙観に従い、建物は円形三層からなる。
この前ブログでも触れた京都の神泉苑と、
ディテールは違えど同種の祭事祈祷をおこなった
場所であるが、実際に天壇に行ってみると、
やはり大陸的広大さと“乾燥した雰囲気”が感じられる。
陰陽思想が階段を含め、天壇のいろいろなところに
反映されていると聞けば聞くほど、
中国の思想の影響を受けた日本の思想の源流に
思いが流れ込んでいくのである。

↑2回訪れたことがある天壇祈念殿@Beijin。世界文化遺産です。
日本で初めて世界遺産に登録された姫路城の天守には
“刑部(おさかべ)明神”が祀られている。聞くところによれば、
この明神様は姫路城の築かれた姫山の地主神だという。
慶長16(1611)年の12月、城主であった池田輝政が突然、
病で倒れた。明覚導師を呼んで祈祷してもらうと、
倒れた原因は、築城の際に天狗が置文(おきぶみ)をして
教えたことを守らなかったためと判明。
早速、教えに従い総社境内に移していた刑部明神を
天守に戻したところ、輝政の病は癒えたと伝わっている。
天狗に置文をされるなどとは、
輝政公はなかなかに霊験あらたかな方だったに違いない。
この話を含め、“姫路城の七不思議”なるものがあるので、
追々知っていきたいと思う。

↑姫路城と桜のphoto。
京都の二条城の南に位置する神泉苑(しんせんえん)は、
現在は真言宗の仏閣だが、そもそもは天皇のための庭園で、
したがって土地も広大であった。
徳川家康が二条城を造営した際に、
神泉苑の土地をいただいたようである。
いにしえから神泉苑には龍神が棲むと言われ、
雨乞いの儀式もされてきた。
そのことを思い現在の神泉苑に行くと、
小規模ながら濃密な場所であることが感じられるのである。

↑神泉苑の桜のphoto。
江戸幕末期、ペリー率いる黒船がやってきて開国を迫り、
幕府は1854年に開国。その際に結んだ江戸条約に
“8灯台を造る”というものがあった。
日本の近海は難所が多く、それまで幕府が置いていた
“灯明台”では心もとなかったのだと思われる。
しかるに巨大なレンズを使用して圧倒的な光量を放つ
“洋式灯台”が導入された。
フランスから設計士のレオンス・ウェルニー氏がやってきて
最初に完成した洋式灯台が、
観音崎灯台@神奈川県横須賀市である。初点灯したのは
1869年の2月、今からちょうど141年前のこと。
三浦半島の東の端に位置する観音崎灯台の灯りを、
僕は客船から見たことがあるけれども、
141年前はさぞや明るかったことだろうと思う。そこは、
江戸(東京湾)の懐に入る入り口、ある意味で、日本の
ディテールがつまびらかにされていく起点だったのである。

↑“日本の灯台50選”というものがありまして、photoは
その地図の一部分です。かなりボケていてスミマセン(謝)。
かつて神社には“社格”と呼ばれる格付けが存在したが、
太平洋戦争後、社格制度はなくなり、
全国の神社は一律対等となった。
しかしながら神職人事等に複雑なシステムを持つ神社は、
別枠という意味合いから選別された。
それがいわゆる「別表神社」である。
全国で350以上はあるといわれているから、
読者諸氏の街の近くにも、別表神社はきっとあると思う。
ちなみに僕の生まれた街の近くには、
大國魂(おおくにたま)神社なる別表神社があります。
小さい頃からお祭り等でよく行っていたので、
何だか嬉しいです。

↑石川県金沢市にある別表神社のひとつ“尾山神社”の
楼門というか神門。オランダ人のホルトマン氏の設計による
洋式の珍しいものゆえ、何回か訪れました。
祀られているのは、前田利家公です。
“日本の100名城”というセグメント(分類)があるけれども、
中でも“現在、天守閣が往時(江戸時代以前)のまま
残っている城”となると、下記の12城に絞られる。
弘前、松本、犬山、丸岡、
彦根、
姫路、備中松山、
松江、丸亀、
伊予松山、宇和島、高知、である。
個人的に登城したことのあるものは、
松本、彦根、 姫路、松江、高知の5城。
どれも素晴らしかった。
もちろん“城好き”であるならば、残っているものが
“部分的な石垣”だろうが“土塁”だろうが、
感情移入はできる。
むしろ、そうしたもの“しか”残っていない場合の方が、
往時を偲ぶ行間になり得る。
こうして列記してみると、四国に現存天守が4城もあることが
わかる。コンプリートすればいいというものではないけれど、
時間を見つけて訪れてみたい。

↑登城経験のある松江城@島根県。美しいですなー。
都市部にいると、ネオンサインと夕暮れは
ほぼ同期しているけれども、
ネオンがまったく点灯しなくなる夕暮れも見てみたいものだと、
今日17時過ぎの新宿を歩きながら思った。

↑とある離島の夕暮れ。
羅漢は阿羅漢の略であり、阿羅漢とは、悟りを得て、
人々の尊敬と供養を受ける資格を備えた人のこと。
小乗仏教では、修行者の到達し得る最高の位とされる。
つまり、自分にとっては百万光年離れた縁遠い存在だが(笑)、羅漢像を観るのは“意識の森羅万象”のようなものを
感じられて、けっこう好きだ。
2010年という節目の年を迎えたこともあり、
またどこかの羅漢像を観に行きたい。

↑味わいのある羅漢像。
現在上映中の映画「ゼロの焦点」の原作は、
松本清張氏の同名小説であるが、その作品に登場する
能登金剛“ヤセの断崖”の近くに“義経の舟隠し”
と呼ばれる場所がある@石川県羽咋(はくい)郡。
極狭い洞窟的入り江といった感じで、
奥州・平泉に逃れようとした源義経一行が、
頼朝の追っ手の目をくらますため、
ここに舟を40隻あまりも隠したと伝わる場所だ。
実際に行ってみると、奥行きは100メートルほどありそうだが、
いくら義経らの舟が小さかったとはいえ、
ここに40もの舟を隠しおおせたのか?と驚く。
仮に隠せたとして、眼前は断崖絶壁である。
舟の上でどのくらい待ったのか?
さらには、断崖を登り、集落まで行ったのか?
鞍馬寺の山道を駆け登っていた義経には、
このような絶壁などさほど苦でもなかったのか?
想像やら妄想やらを、
いろいろと掻き立てられる場所なのだった。

↑義経の舟隠し“現場”photo(←って、事件かよ!?)。
疎水とは、給水や舟運、発電などのために切り開いた
水路のことを指す。琵琶湖の水を京都へ供給するために
作られた水路が“琵琶湖疎水”であり、
すでに100年以上の歴史を持っている。
京都・南禅寺近くの“哲学の道”の脇に琵琶湖疎水が
流れているのだが、
これまで通ってもさして愛着がわかなかった。
なぜなら、琵琶湖の水に思いが募らなかったからである。
2009年は、自分の中で“琵琶湖慕情元年”であるから、
今度京都で疎水を見た時には、胸が熱くなるに違いない。
いや、始点の大津から終点の宇治川まで
行きたい気分だ(笑)。

↑京都の街中、ライトアップのphoto。
12月ほど街中に電飾があふれている月もないだろうと思う。
言い換えれば「夜景に付加価値が生じる時季」でもある。
夜景が綺麗だなと思った場所は、函館と香港。どちらも
“海に面していて、高低差のある土地”という共通点がある。
その点では、神戸やNYCも綺麗だ。
気温がグッと下がったので、雪降る夜景が観たい
と思うけれども、あいにくと年末進行が立ちはだかっている。

↑何度か訪れた香港の夜景photo。
それが人造湖であれ何であれ、
湖上にのぼる月が美しいのは、
湖面に映る月の“微妙な揺れ”にあるのではなかろうか?
頭上の月は揺れず、湖面の月は微妙に揺れる…
湖は鏡面でありながら、
“もう一つの月”を現出せしめる装置であり、結果
“二つの月”は小さな差異を持つ生命体の如きものとなる。
今年見た湖で最高位に匹敵したのは、琵琶湖である。
前々からただならぬ湖だと思っていたが、
今年はその“歴史的な悲しみ”に気づくことができた。

↑湖と月のphoto。
昔からアカマツ林は、何となく不気味で好きになれなかった。
「自分の前世は忍者だったのか?」と
バカなことを思ったものだが、加齢と共にというか、
いろいろなアカマツ林をみるうちに、
その“影のある明るさ”が好きになった。
まったく、個人的印象などというものは
恣意的だなと思う(笑)。

↑アカマツ林のphoto。
“キンコンカンコン”と言えば、
学校などで聞く“チャイム”のことだが、
“キンコンカンコン”には正式楽曲名がある。
邦題は「ウェストミンスターの鐘」、
英語のタイトルは「Westminster Quarters」
あるいは「Westminster Chime」だ。
イギリス国会議事堂に隣接する
通称ビッグ・ベン(時計塔)が鳴らす鐘のメロディである。
僕らがさんざん聴いてきた“チャイム”は、
ウェストミンスター生まれのものだったのだ。
ビッグ・ベンの鐘が初めてロンドンに響いてから、
今年でちょうど150年。夏には大きな式典はなかったが、
ChristmasやNew Year’s Eveには
イヴェントがあるのだろうか?思いを馳せている。

↑ライトアップされたビッグ・ベンのphoto。
昔、この橋で逆立ちをしました(←アホウ)。
あの世とこの世を分かつ“三途(さんず)の川”を渡る賃料は
“六文”と言われ、六文を言わば副葬品として棺に入れる、
そのおカネを冥銭(めいせん)という。
六文銭を紋所にしていたのが、戦国武将の真田氏である。
特に“赤備え”をして大坂の陣に向かった
真田信繁(=幸村)は、名高い。
僕は、配流の身になり、九度山@和歌山県に
謹慎させられた時代の幸村に、興味がある。
智将で知られた父が死に、失意の底で
「自分は何をするべきなのか?」を考えていた幸村に……だ。
戦国最強の武将を特定はできないだろうが
〜いわゆる科学的データがないため〜、
個人的には、幸村が最強だったろうと思う。

↑リスペクト訪問済み!真田氏の居城
=上田城@長野県・上田市の一画。
ああ、六文銭の旗印。
アメーバ的原生生物でサンゴ礁の炭素循環において
重要な役割を果たす有孔虫(ゆうこうちゅう)は、
古生代の石炭紀からペルム紀に大量発生したため、
多くの化石が残っている。“フズリナの化石”として
見たことのある人も、多いはずだ。
有孔虫が現在でも生きている証拠が、
砂浜の砂に混じっている“星の砂”である。
沖縄県の竹富島や西表島の砂浜でよく見つかる
“星の砂”は、有孔虫の一種の死骸であり、「殻」だ。
直径1ミリの原生生物が担っている活動の意味は、
とても大きい。1年前に竹富島に行って以来、有孔虫のことを
よく考える。およそ3億年前の地球のことを(笑)。

↑星の砂がよく見つかる皆治(カイジ)浜@竹富島。
岐阜県大垣市には「ナンデモヤ」なる店がある。
日用雑貨を主に品揃えしているが、
下のphotoを見てもわかるように、店頭にはまず
“笠”が置かれている。“傘”ではない。“笠”だ。
“笠”が主流日用雑貨であるような場所は、
素晴らしいと思う。

↑ナンデモヤの店先。
日本の城とヨーロッパの城を見較べて
大きく違うところのひとつに、尖塔(せんとう)がある。
ヨーロッパの城に顕著な尖塔は、
どこか、悲劇を孕んだフォルムのようにも見える。
ドイツのフュッセン近くにあるノイシュヴァンシュタイン城は、
着工が19世紀の後半ゆえ比較的新しい城ではあるけれども、
建設を切望したルードヴィヒ2世の最期のことを思うと、
冷涼な空気が尖塔ばかりか、観る者の心まで締めつける。
作曲家のワーグナーを擁護したルードヴィヒ2世には、
ギリシャ神話に登場する
ナルキッソス(ナルシシズムの語源)を投影できる。
ナルキッソス〜ルードヴィヒ2世〜ワーグナー〜フロイトという
連関は、何やら美を形成する精神の
ひとつの潮流のような気がするのである。

↑ノイシュヴァンシュタイン城のphoto。以前、この城を
訪れた時は時間がなく、季節も夏だったため、冬にじっくり
拝観したら印象もかなり変わるのだろうと思いました。
ちなみにノイシュヴァンシュタイン城は
“シンデレラ城@ディズニー”のモデルになっています。
以前訪れた北欧の国〜デンマークの首都である
コペンハーゲンは、シェラン島という島にある。
この国は大陸に領有する土地を持っているにもかかわらず、
首都が島にあるところがおもしろい。
さらに、橋を渡れば隣国のスウェーデンにすぐ行ける。
スウェーデンのマルメという街に住んでいる
トーレ・ヨハンソン氏は、
音楽ファンにはよく知られているだろう。
過去にカジヒデキさんやBonnie Pinkさんを
プロデュースしているからだ。
例えば、香川県の高松市がコペンハーゲンだとして、
瀬戸大橋で瀬戸内海を渡り岡山県の倉敷市に行くと、
そこはもう隣国のマルメという感じである。
行き来は活発だが、往来することによって
街や人の個性がなくなることはない…そんな印象を持った。
第2次世界大戦中デンマークはドイツ軍に占領されたが、
デンマーク国王は亡命することなく、さらには
反ナチス派を守ったりもした。国民の多くはそのことを
誇りに思っているようで、滞在中は
「いかに国王が偉大か!」という話を、よく聞かされた(笑)。
今年の5月にデンマークの首相と外務大臣は、
ダライ・ラマ氏と会見し、
中国政府を刺激したりもしたけれども、小国でありながら
炯眼と機転のよさをもって情勢を見ているデンマークは、
個人的に好きな国のひとつなのである。

↑かのハンス・クリスチャン・アンデルセン氏が住んでいた
ニューハウン@コペンハーゲンの街並み。
以前にも記したが、僕の初めての離島体験が、
中学2年の時の(東京から南へ120キロ離れた)
伊豆大島行きだったため、強く印象に残っている。
特に“砂漠”と呼ばれる(三原山が噴火してできた)
溶岩原を見た時は、「地球の始まり」を想起させた。
三原山は昔から「御神火(ごじんか)様」として
あがめられたことも知った。
初めての離島体験から12年後の1986年11月に
御神火様は、大噴火を起こした。調べてみると、
三原山はおよそ35年周期で大きな爆発をしている。
たとえ周期がわかったところで、住み続ける島民は
多いに違いない。そうした強い縁で結ばれたかのように
住んでいる島の方々は、素晴らしいなと思う。

↑伊豆大島と言えば、ヤブツバキ。
自生して巨大になっているヤブツバキを見かけました。
あかあかと 日は難面(つれな)くも あきの風
かの松尾芭蕉(現在の三重県出身)が、「奥の細道」において
詠んだ一句である。
日差しは強いけれども、風は秋を感じさせるという
ものだから、時季的には9月の半ばくらいだろうか?
この句の“変哲なき字面に隠された奥義”が、年と共に
わかってくるような気がして、個人的には、嬉しい秋である。

↑その、芭蕉の句碑。
東京で電車に乗っていても“みんなで揺られている”という
感覚は生まれにくいが、地方で路面電車や列車に乗ると、
その感覚が生まれやすい。
基本的に地方では「すし詰め状態の車内」などというものが、
さほどないからだろうか?
以前、広島で路面電車に乗り“宮島口”まで行った時も、
乗ってくる人が全員知り合いのように思えて、
話しかけたい衝動を抑えるのに苦労した(笑)。
今乗ってみたい列車は“ことでん(高松琴平電気鉄道)”
である。
それも古い車両でゴトンゴトンと揺られてみたい。

↑“ことでん”〜かつての3000型(335)車両。
現在は、香川県高松市に保存されています。
日本一の面積(約670平方キロ)を誇る琵琶湖が好きである。
弦楽器の琵琶(びわ)に形が似ていることから、
その名が付いたといわれる。
今日は、琵琶湖のいわゆる湖南地域に属する草津に行った。
湖岸道路を走り辿り着いた琵琶湖の湖面は、
きらきらと光り、細かく波立っていた。

↑琵琶湖の湖面。
定置網やイカリなどにつけて目印にした
球形ガラス製の漁具が、浮き玉である。
今はプラスティック製になったため、ガラス製は
ほとんど見ないが、ラムネや薬の瓶がガラス製だった頃を
彷彿とさせる懐かしいものだ。
ガラス製は確かに危ないのかもしれないけれども、
光沢や質感は、プラスティック製の比ではない。
漁火(いさりび)に反射するたくさんの浮き玉を見てみたい。

↑8月初め、日本海・海辺の小さな資料館で見かけた
ガラス製の浮き玉。
15世紀末に沖縄・石垣島で活躍した
豪族のオヤケアカハチ(於屋計赤蜂)は、1500年に
当時の琉球王に楯突いたと見なされ、討ち取られてしまう。
それが、「オヤケアカハチの乱」だ。
現在では、琉球王への反逆ではなく、
八重山諸島の統一が目的だったと考えられているようだが、
当時は、そのように解釈されなかった。
小学生の時に見たTV番組「ウルトラマン」に登場した
怪獣“レッドキング”は、オヤケアカハチが
モデルになっていると、大学生の時に知った。
ウルトラマンは、海の底にある異界“ニライカナイ”から
やってきた神…という見方ができるということも、だ。
ウルトラマンの脚本を書いた金城哲夫さんは
沖縄出身であり、
番組放映時に沖縄は、まだ日本に返還される前だった。
子供の頃、何もわからず表層的に受け止めていたものが、
深い背景を持っていたんだなとわかることは、かなり嬉しい。

↑水族館で生きていたサンゴのphoto。
こうした海の底にニライカナイはあるのでしょうか?
東京で博物館(美術館)に行こうとすると、
その企画次第ではとんでもない長蛇の列ができ、
拝観まで何時間も待つ事態になる。
それがイヤで、拝観をあきらめることも、ままある。
先月、福岡に出張した際に
「太宰府天満宮にお参りしてこよう」と思い出かけたら、
天満宮にほぼ隣接している九州国立博物館で
(東京では観られなかった)“国宝・阿修羅展”をやっていて、
狂喜した。
さすがに九州国立博物館でも
それなりに混んではいたけれども、
入場規制がかかるほどではない。
阿修羅像を見るだけなら奈良の興福寺に行けばよい。
だが、通常、興福寺において阿修羅像はガラスケースに
入っており、特にその“背面”は観ることができない。
今回の展覧会ではガラスケースは取り払われ、
したがってその背面を観ることができた。
“戦いの神”であった阿修羅が、
なぜ仏法を守る天竜八部衆のひとつになったのか?
背面から観ると、その過程が自ずとわかってくるような
気がした。「行間や過程がフォルムに帰着する」とは、
こういうことなんだと思った。
ただただ、美しかった。

↑阿修羅展で購入した「図録」。かなり重厚な作りです。
琉球地方のグスクは“城”にあたるものだが、
いわゆる“日本の城”に顕著な「石垣」、
あるいは「天守閣」がないものも多い。
つまり、それは軍事的な意味合いが薄いことにつながる。
戦いを好まない、知恵で切り抜けていく“柔らかな姿勢”が、
フォルムから伝わってくるのである。
ちなみに“琉球王国のグスク及び関連遺産群”は、
2000年に世界遺産に登録されている。

↑過去に2度訪れたことがある沖縄の首里城。
今日、羽田空港にて、ケータイで
「もう、時計の下で何分待ってると思ってるのよ!?」
と声を荒げている女性がいて、
「時計といってもいくつもあるんだけどなー」
と思いながら通り過ぎようとした。
するとその女性が
「えっ?時計に番号がついてるの?早く言ってよぉ!」と。
羽田空港の時計の下で待ち合わせる場合、
航空会社のカウンターと共に、
「何番の時計か」を明らかにしましょう(笑)。
今日は、出張です。
原稿をたくさん抱えつつ(苦笑)。

↑ちなみに、これは全日空カウンター4番の時計の下。
♪人影見当たらぬ終列車
ひーとーり飛び乗ったぁ〜……
これは、奥田民生さんの名曲「さすらい」の
一節である。
毎月のことながら、入稿+校了を続けていると、
どうしても“さすらいという夢想”をしてしまう。
思わず「飛び乗りたい!」と思った、
ヨーロッパ編は、プラハ本駅@チェコ共和国に
停まっていたブタペスト行きの寝台列車。
暮れかかるプラットホーム、
薄暗い、ほとんど誰もいない車内…
パスポートも当然持っているし、
所持金もそれなりにある…
ああ、なぜ飛び乗らなかったのだろう?
(↑仕事があったんだよ!)
日本編では、山陰本線・宍道(しんじ)駅、
確か3番ホームに停まっていた2両編成の
木次(きすき)線。
飛び乗れば、秘境駅として名高い備後(びんご)
落合駅@広島県まで、行ける。
ああ、なぜ飛び乗らなかったのだろう?
(↑クルマ移動だっただろ!?)
とまぁ、こうしたさすらい夢想をしている間に
締切りは刻一刻と近づいてきて、
にっちもさっちもいかなくなるわけである。

↑以前訪れたミラノ中央駅@イタリア。
建築家のフランク・L・ライト氏いわく
「世界で最も美しい鉄道駅」だとか。
世界中、全部の駅を観たのかよ!?(笑)
雨の降る音が、別の雨のシーンを脳内に
連れて来ることがある。
これを僕は“聴覚映像の多重効果”と呼んでいる。
以前、マレーシアに行った際、昼前なのに
街路の電柱にくくり付けられたスピーカから
大音量でコーラン(イスラム教の聖典)が流れ、
と同時に、ザーッとスコールが降った。
風はほとんどなく、しかしながら、雨粒の
落ちてくるそのスピードで、大気が細かく揺れて
いるような印象を持った。
比較的大きな街路樹に向けた視線、
そのフォーカスを合わせると、鮮やかな色の
鳥たちが、羽根を休めていた。
(付記)
昔はコーラン(Koran)と呼んでいましたが、
近年では、よりアラビア語の発音に近い表記
“クルアーン(Qur’an)”になりましたね。

↑このような鮮色の鳥たちが…。
インドでストゥーパと言えば、Buddhaの墓のこと。
ストゥーパはあくまで“塔”であるけれども、
仏教が中国を経て日本に伝わる過程で
それは一種の楼閣(階を重ねた建て物)となった。
具体例が、三重塔や五重塔だ。
そして、そうした多重塔の屋根の上の一番上に
位置する飾りが相輪(そうりん)と呼ばれるもの。
相輪の構成要素は、多少の差こそあれ、
下から順に露盤〜伏鉢〜請花〜九輪〜水煙〜
竜車〜宝珠となっている。
現在インフルエンザに配慮しつつ修学旅行を
している学生の皆さんには、
ぜひともオペラグラスを持参して、
相輪も観てほしいと思う。
ちなみに僕は、水煙の部分が好きです。
<付記>
そう言えば本日、比叡山・延暦寺(天台宗)の
座主が、高野山・金剛峰寺(真言宗)を
訪れましたね。
両宗が生まれて「1200年」。
天台座主が高野山を訪れるのは、初めて!
だそうです。
めでたいことです。

↑京都・東寺の五重塔。
行くたびに圧倒されて、見蕩れてしまいます。
未確認動物を示す“Unidentified Mysterious
Animal”を略してUMA(ユーマ)と呼ぶのは、
日本特有らしいが、雪男のようなイエティや
類人猿的なビッグフットにも通じる存在が
広島県比婆郡あたりに出没した“ヒバゴン”である。
1970年代から目撃情報があり、
そのたびに「行ってみたいな」と思っていた。
近ごろでは目撃情報もなくなってしまったけれど、
中国山地あたりに行くと
「ヒバゴン、出てこないかなー」と期待してしまう。

↑これは“ひばごん丼”の看板(笑)。
猿のようなイラストがヒバゴンなのか?
アーサー・コナン・ドイル氏の生誕150周年を記念して、
監督のガイ・リッチー氏が
映画『Sherlock Holmes』を制作している。
(今年のクリスマス公開予定)。
ホームズ役には、ロバート・ダウニーJrさん、
ワトスン役には、ジュード・ロウさんが、あたる。
ダウニーJr氏は、重責と自分への期待で
胸がいっぱいなのではないか?
なぜなら、彼のひとつ前のホームズ役が、
“決定的名演”と評された
故ジェレミー・ブレット氏だからだ。
ブレット氏がまだ懸命にホームズ役に
取り組んでいた90年代の初め、
僕はベーカー街221B@ロンドンを訪れた。
そこは、シャーロック・ホームズ記念館になっている。
“ミセス・ハドスン”を思わせる女性スタッフに
「あなたは、どの作品のホームズが好きなの?」
と聞かれ、「もちろん、グラナダTV制作の
ブレット=ホームズです」と答えた。
すると「あなたはまだ若いから、そう思うのも
無理はないわ」と言われた。
いや、過去のベイジル・ラスボーン氏の演技も
ピーター・カッシング氏のそれも超えるものが
ブレット氏にあることは、明白だったが、
ロンドンまで来て演技評論をするのもどうかと思い、
そこでやめておいた。
そもそも僕は、音楽文化ライターだ(笑)。
ブレット氏のホームズは
“秩序と狂気のコントラスト”が大変に強い。
しかし、それなしにシャーロック・ホームズが
成立しえないことを、ファンならば知っているはずだ。
直後“ブレット=ホームズ”は爆発的人気を博し、
毎週3000通もの“依頼という名のファンレター”が
グラナダTVに届いたという。
本日のブログタイトルは、ホームズの名言の
ひとつから。
When you have eliminated the impossible,
Whatever remains,
However improbable,
Must be the truth.
「すべての不可能を消去して、
最後に残ったものが、いかに突飛なことであっても
それが真実なのだ」
“突飛な事柄を推理する”…
僕がホームズ先生から教わった最重要項目である。

↑ダウニーJr=ホームズとブレット=ホームズ。
Sauerkraut(ザウワークラウト)は、
“酸っぱいキャベツ”の意で、ドイツ料理に
よく使われる。
酸っぱさは酢漬けによるものではなく、
発酵することによって出る酸味だ。
(よって、正しくはキャベツの塩漬け)。
ソーセージと一緒に食べると、脂っぽさが
かなり中和されて胃がもたれない。
東京のお店などでは、付け合わせ程度に
少量出てくることが多いが、
ボールいっぱいのザウワークラウトが
食べたくなるのは、ビールのおいしい季節に
近づいたからかなのか?

↑以前訪れたケルン郊外の風景。
ケルンの大聖堂を見ずにニュルンベルクに移動
したら、知人から「おまえはバカか!!」と
思いっきり言われました(笑)。
“スウィッチバック”とは
山の斜面など、傾斜の厳しい地形における
折り返し式の鉄道線路のこと。
進行方向が逆になるため、運転手が
時に窓から半身をのり出し、バック走行することもある。
当然、スピードは出ない。
しかし、トンネルよりもはるかに旅気分に浸れる。
小学校の頃、箱根登山鉄道に乗った際、
スウィッチバックがあり、かなりワクワクした。
インドには6つのスウィッチバックが
設けられている“ダージリン・ヒマラヤ鉄道”
という鉄道がある。
世界文化遺産にも登録。
ぜひとも、乗ってみた〜い。
紅茶が飲めるのかな?(笑)

↑スウィッチバックがある
箱根登山鉄道・大平台駅。
“大きなくぼみ”を意味するフォッサマグナは、
簡略化され“糸魚川静岡構造線”とも呼ばれる。
いわゆる、地殻の断層連続線のことである。
今からおよそ1世紀前に、フォッサマグナの
ことを論文に書いたハインリヒ・エドムント・
ナウマン氏(ドイツの地質学者)は、
氷河期に生息したと考えられる“ナウマンゾウ”と
いう和名として残っていることからも知られている。
ナウマン博士は、昨日書いた乗鞍岳の南、
つまり南アルプス山系をながめている時、
断層線があるのではないか? と思いついた
と伝えられている。
目の前にある光景をながめながら、
地下にある=目には見えない構造のことを
想起するのはすごいことであり、
科学的研究の第一歩はみな、ここから
始まるのだろうなという気がする。

↑松本と糸魚川を結ぶ大糸線(こちらは
断層ではなく鉄道)のphoto。
太陽と月の引力、特に月の引力が潮の満ち引きに
大きな影響を及ぼしていることは、
周知の事実だろう。
ちなみに、海面が周期的に昇降する現象を
“潮汐(ちょうせき)”という。
月は地球の自転とともに東から西へ移動。
と同時に海面は月の引力によって引き上げられ、
潮位を上げながら月の運行を追いかけていると
言っていい。
太平洋から西へ移ってきた潮流は、
瀬戸内海の入口に位置する紀伊水道で、
二手に分かれる。
一方は、淡路島と鳴門(なると)@徳島県の間
にある鳴門海峡の南側に到達し、
もう一方は、大阪湾から明石海峡を回り、
鳴門海峡の北側に到達する。
明石海峡を回ってきた潮流が満潮、
鳴門海峡の南側に達した潮流が干潮を迎えると、
潮位の高きから低きに海水が流れるのは
道理だから、この時、鳴門海峡の北側から南側に
潮が流れる。
もちろん、逆もあり、だ。
干潮差は、1日4回生じる。
鳴門海峡の幅は、わずか1.3キロしかない。
大きな潮流が幅の狭い海峡に一気に流れ込むことによって、
スピードは高速となる。
その高速の潮流によって生まれるのが、
天下に名高い“鳴門の渦”なのである。
先日、大鳴門橋の下に併設された遊歩道=“渦の道”から、
渦潮を見た。
遊覧船のような船(観潮船と呼ばれるらしい)が、
渦の中に巻き込まれそうになりながら、
全速ノットで脱出していく光景は、
スペクタクル映画を観ているようだった。
鳴門の渦の規模は、世界一だそうだ。
(潮流スピードは、世界第3位)。
またしても、自然の驚異によって生まれた
“美景”に圧倒されたのだった。
(付記)
しかし、こんなに速くて複雑な潮の流れを、
中世の水軍は、化石燃料による動力に頼らず、
風力や人力で乗り切っていた…
それ以上に経験則によって潮の流れを利用
していたわけですよね?
阿波水軍、松浦水軍、河野水軍…
もちろん、僕の好きな熊野水軍も。
かなりエコで、頭がイイです。

↑観潮船と渦潮の格闘(笑)。
Photoでは、よくわからないかもしれませんが。
19世紀のフランスの画家〜ギュスターヴ・モローは、
印象派の写実主義にまったく歩調を合わさずに、
人間の内面にある神秘性や夢を描いた。
画題=主題は、もっぱら神話や歴史、聖書から取られた。
そしてモローは「私は目には見えないもの、
感じるものだけを信ずる」と明言した。
彼の作品の多くは油彩だが、水彩画もある。
先日、大原美術館@岡山県倉敷市にて
モローの水彩画「雅歌〜Le cantique des cantiques」
を観たが、パッと見ただけでは油彩に見える。
絵の具が盛り上がっている箇所や、
色彩のコントラストが明らかに水彩の次元ではない。
卓越したスキルによって生み出された
その“物質的迫力”は、「目には見えないもの」とは
真逆の側にあるものだった。
「人はいったん真逆の側に立ち、何かを成した時、
もう一方の逆サイドに立っているものなのだな」と
逆説的真理を感じたのだった。

↑それがその「雅歌」。
Photoでは“物質的迫力”はほとんど伝わりませんが。
先日、ブログで菜の花畑を取り上げたら、
「和んだ」と知人から感想をもらったので、
気を良くして、菜の花の“次”を書く。
菜の花と半ばカップリングになっているのは、
れんげだろう。
チッソ系肥料を作るために植えられている
れんげの畑は、昔は、東京でもよく見られたが、
バブル期以降、めっきり減ってしまった。
れんげ畑は、とてもいい匂いがする。
思わず寝ころびたくなるのは、
僕だけでは、ないはずだ。

↑先日、淡路島で見ることのできたれんげ畑。
「最近めっきりいなくなってしまった」
と言われているミツバチがたくさんいました。
“山の峰と峰を結んで続く線”のことを
稜線(りょうせん)と言うが、
稜線が圧倒的に長く美しいのが、日本一の
高さを誇る富士山である。
なぜあそこまで稜線が長く美しいのか?
その理由は、すぐ近くに山がない、
つまり連山になっていないからだろう。
僕はてっきり、富士山は“単体で”大きくなった
のだと思っていたのだが、いくつかの活火山が
“合体して”富士山になったことを知った。
合体しても、いびつにならず、
かくも美しい稜線が生まれたのは、まさに
“自然界の魔術”だろうと思う。

↑先日訪れた河口湖から、富士山をpic。
天気が、かんばしくなく(苦笑)。
アイヌ語で“フキの葉の下に住む人”を意味する
コロポックル。
古事記&日本書紀に登場する少彦名命
(すくなひこなのみこと)と
同じ種族ではないか?と唱える人もいる。
鳥取県境港市にある“水木しげるロード”には、
そのコロポックルのブロンズ像=モニュメントが
街路に可愛くたたずんでいた。
記紀とアイヌを結びつける存在として、
あるいはヒトと妖怪を橋渡しする存在として、
僕の中では、注目に値するものなのである。

↑こちらは、早春を告げる“ふきのとう”。
天ぷらもいいけれど味噌和えもかなり好きです。


